私の大事な友人が癌で亡くなりました。東海大学の一つ後輩のラドミール・コバセビッチです。旧ユーゴスラビア出身、東海大学が全日本学生柔道優勝大会4連覇をした時に多大な貢献をした選手です。
モスクワ・オリンピックでもメダルを獲得しています。オリンピックの後に、ユーゴスラビアを離れて、ニューヨークで20年間生活をしていました。3年前に私が国際柔道連盟(IJF)の教育コーチング理事に就任するにあたり、4週間ニューヨークにて語学の勉強をしましたが、その時に、アメリカ生活のアレンジをしてくれました。
コバセビッチ氏
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英語のレッスンは、朝7:30〜1:00まで、英語の先生とビッチ対私という、厳しい環境で勉強させてくれました。レッスン後は、私に色々な経験をさせるため、NBCのオリンピック担当の方と会わせてくれ、色々なところに連れて行ってくれました。柔道だけではなく、様々な人に出会わせてくれました。
コバセビッチに言わせると、「柔道の政治の中には、色々な武器を持って他人からものを奪おうとする人間が多くいる、その中に、何も武器を持たないで山下先輩は、笑顔で入っていく ・ ・ ・。人々の表と裏や醜さがある柔道政治の中では、日本人の柔道の純粋な気持ちだけでは生きて行けない。」そのことを心配して、私に、色々なことを経験させたかったようです。
他にも、色々な思い出があります。私が全日本選手権でチャンピョンを獲得し、まだ、学生で半人前ではありましたが、柔道の世界では日本一となったときに彼に言われました。
「先輩は、柔道のチャンピョンであるまえに、いち、山下だ。先輩は、チャンピョンなど関係なく山下泰裕として生きるべきだ。」私は、彼にこう聞きました。「では、ビッチ、君はどのように生きたいんだ?」彼は胸をはって言いました。「私は、柔道家らしく。私は、男らしく。私は、ユーゴスラビア人らしく、人間らしく生きたい。」私の中でぼやけていたものが、すっきりしたのをおぼえています。
それから、私は、その後柔道チャンピョンやオリンピックチャンピョン、国民栄誉賞などをいただきましたが、そんなものは、一切関係なく、柔道家らしく、男らしく、人間らしく生きたいと思うようになりました。
色々な人が、「有名だから大変だよね?」と、言います。
しかし、29年前彼と語った「チャンピョンも栄誉も関係なく、人間として、男として、柔道家としてどう生きるべきか?」がたいせつだと私は思っています。
今も、今までとおなじように、自然体で生きて行けるのは、彼との会話を通してのきずきがあったからだと思います。
最愛の友人をなくして、残念でなりません。しかし、彼から学んだことをいかして、私の友人に恥ずかしくないように、生きて行きたいと思います。
6月16日金曜日に日本をたち、6月17日からセルビアモンテネグロのベオグラード市で行われた葬儀に参加して来ました。彼は、柔道をこよなく愛していました。行きも帰りも飛行機の中は、ワールドカップで一色でした。しかし、私には本当に悲しい旅になりました。心から彼の冥福を祈りたいと思います。
東海大学柔道部を代表して献花 |
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