最近の雑誌・新聞インタビューダイジェスト
私が最近考えていることを理解して頂くためには、最近あったいろいろなマスコミ関係の人とのインタビュー記事を読んで頂くのが早いと思います。読んで頂いて、私の考えに対して、様々なご意見を頂きたいと思います。

































































































































「スポーツのひろば」新春特別対談より
(2001年1月号)

 新日本スポーツ連盟の長尾正二理事長との対談。タイトルは「21世紀の幕開け=スポーツの未来=」です。子供の頃に遊び回った時の話などに触れ、僕らの時代は「遊びの延長にスポーツがあった」が、「現代の子供達は遊びの幅は狭くなっているし、スポーツは大人が統制してやらせている」。と話ました。

自由をはき違えている若者にスポーツを通して指導する
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  話は、子供のころの話から発展して、現在の若者が「後期養成を考えない自由」を振りかざしていることについて、長尾さんと頭を抱え合いました。自分にできるスポーツの指導という立場では、どんなことができるのでしょうか。長尾さんは「勝つ」「負ける」という勝利至上主義ではいけないと仰られました。

長尾理事長:〜略〜「勝つ」だけ、「負け」は人間的にも、ダメみたいなスポーツ観は、人格形成上も悪影響を及ぼすことです。

山下:まず、勝利至上主義。私に言わせると、「勝ちゃいいんだろ」これは、スポーツをダメにすると思います。勝利に向けて全力を尽くすこと、これには尊さを感じます。しかし、似て非なんですよね。
  勝利に向けて一生懸命努力していく課程で、いろんな事を学んでいく。僕はスポーツというのは日本の場合は教育の一環でありたいと思います。そうするとやはり、高いものを目指していくなかで、人間そのものが練られて、初めて本物ではないかと思います。
  だからよく言うんです。「柔道で身体を、心身を鍛えているというけれど、電車で座っていて年輩の方に席を譲らないで、何のために体力を使っているのか」「誰かがいじめられている、その時にやめろよと、それが言えないで何の柔道か」「ただ試合で勝つためだけにお前の優れた体力と、逞しい心はあるのか。それじゃあ、お前の培ったものというのは、ほんの僅かなものでしかない。強い体、不屈の闘志、決断力、これを社会でいかして初めて、お前が頂点を目指して頑張ってきた意味があるんだよ」と。

北海道新聞コラム「サンデーひと」より
(2000年10月29日)

柔道が世界の「JUDO」になった。 このスポーツの本質はどこにあるのか?
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 北海道新聞の「サンデーひと」という記事で、同誌の村山編集委員と話しました。国際柔道連盟には、180の国が加盟。本家の日本がどうあるべきか? また、例の篠原誤審事件についても話ました。

村山編集長(以下敬称略) :経済でいう世界標準が柔道界にもあるのでしょうか?

山下:国際性、公開性、透明性とか、役職とかですね。日本企業のような年功序列ではなく、その仕事の役割は何か、それを遂行していける人間はだれなのかと考えて、人を選ぶといったことです。

村山:日本の柔道は?

山下:個人的には、日本柔道界の常識が世界の柔道とかけ離れていくのは、発展につながらないと思っています。『一致させる』と言うと、『監督八年やると、そんなに立派になるのかな』って皮肉られますよ。多分、日本社会の常識も世界の非常識になっている部分があるんじゃないですか。

村山:世界の柔道でいうと、例えば、レスリングのようになったという見方がありますね。

山下:柔道を日本からしか見ていないから、そう思えるんです。国際柔道連盟には、百八十を超える国が加盟しています。それぞれの国に文化があり、多くの国に独自の格闘技があって、それらを通 じて、それぞれの柔道を発展させてきたんです。現象面だけ見て、本質を見ない意見が多すぎる気がします。

村山:と、いっても「本家」は日本だと思うんですが?。

山下:『本家だから、なんでも言うことを聞け』というのか、『本家として、発展に尽力しよう』というのかです。

村山:うーん・・

山下:実は、日本は世界から信用されていない。自分たちのことしか考えていないと見られるからです。でも、五輪の競技で、日本で発祥したのは柔道だけです。柔道を通 じて、世界の人々は心をかよわせることができるんです。柔道は世界の財産になった。それが日本から生まれた。だから、日本は世界の柔道の発展のために尽くすべきだと考えるのです。

〜中略〜

村山:ところで、篠原選手の判定をめぐって、三十日(2000年10月)に国際柔道連盟の結論が出るそうですね。あの試合でなぜ、電光掲示板に相手の『有効』が出た段階で講義しなかったのかという声があります。

山下:講義してはいけないというルールがあったからです。それは、日本のルールがそのまま世界のものになったのです。

村山:どうしてそんなルールがあるのですか?

山下:審判は絶対だという考え方からです 。

村山氏:山下さんは試合後に抗議しましたね。

山下:きちんと議論してくれと申し立てました。勝ち負けだけの話ではありません。規制の考え方を改革していく方向を模索したいと考えたんです。

村山氏:篠原選手への同情は消えません 。

山下:篠原は立派でした。もっと言いますと、将来、あの試合があったから、ビデオ判定が導入されたと、歴史に記されて初めて、彼の戦いの意義があると思うのです 。

しんぶん赤旗日曜版「パラリンピック特集」より
(2000年10月29日)

優しさを現代の子供達に分かってもらうために パラリンピックを見せてあげたい。

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 パラリンピックシドニー大会では、藤本聡選手(25・66Kg級)がアトランタに続く連覇。100Kg級の松本義和選手100Kg超級の宮内栄司選手がそれぞれ銅メダルを獲得しました。
  そして私は、パラリンピックのことでインタビューを受けました。私はパラリンピックを多くの人に、とくに今を生きる子供たちに見て欲しいと思うのです。私は日頃から、障害者と接すると、心が優しい気持ちになると思っています。そこで、パラリンピックを見ようと訴えました。記事は、私の語りで綴られました。

 私は、日ごろ多くの障害者の方々と接するなかで感じていることがあります。それは、彼らと接するとなぜか心が優しく、柔らかくなるということです。
 日々、ぎりぎりのところで、勝つか負けるかということばかりに追われ、それに漬かりきっている私にとっても、これは忘れてはならないことだと思っています。いま、殺伐とした社会の中で、人間が本来持っている思いやりや、いたわりの心、そして優しさといったものを取り戻すことが大事になっています。障害者は、われわれにその手助けをしてくれる、そういう存在でもあると、私は思うのです。

総合健診センターヘルチェック発行
ヘルシーライフ1月号より

(2001年1月号)

第一の人生、第二の人生、第三の人生……。
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 私が最近こういったインタビューで良くお答えするのが、人生の転機についてです。私は、今まで何回かの転機を迎えました。オリンピック後、全日本男子柔道の監督を辞めてまた転機が訪れ、いろいろと考えていたのでそれが現れたのだと思います。記事には「これから第三の人生をはじめます」というタイトルがついていました。

 全日本のヘッドコーチは8年間務める約束でした。シドニーオリンピックが終わったら辞めることは以前から明言していました。私にとって第一の人生は現役の選手時代で、オリンピックで金メダルをとるのが夢でした。それが実現して、第二の人生は指導者として世界に通 用する選手、指導者それぞれに全力でやってきたという充実感があります。そしてこれからが第三の人生になります。具体的に何をするかはこれからゆっくり考えようと思っていますが、次の指導者を育てていくのことも大切な事のひとつでしょう


この記事のインタビューが行われた時は、まだ身の振りを考えている最中でした。結果 として、母校東海大学に監督として戻ることにし、その意味では第二の人生はまだ終わっていなかった。選手を育てるという道を選んだのです。3年間の約束です。第三の人生をどう生きていくかの結論は3年後に持ち越しです。




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