講演録 / 新聞・雑誌クリッピング

2003年05月22日
「柔」の人、プーチン大統領の黒帯「外交フォーラム」 (2003年5月号 No.178)

柔道家、プーチン大統領との邂逅

  プーチン大統領と私との間に最初の接点があったのは、2000年1月、モスクワで柔道のロシア国際大会が開かれたときのことです。当時、プーチン氏は まだ前年の暮れに大統領代行に任命されたばかりでした。私自身は残念ながら大会に同席できなかったのですが、記念品として進呈した柔道着を日本選手団の代 表を通じて手渡していただきました。そのとき、場内にはこんなアナウンスが流れたそうです。
――世界一有名な、あの柔道の王者、日本の山下泰裕氏から大統領代行に贈り物が届いています。
 慌てたのは日本選手団の面々です。実は、そのことは誰一人として、当の私ですら知りませんでした。正確にいえば、ロシア柔道連盟の会長から贈り先が 「プーチン・ウラジーミル・ウラジーミロビッチ」氏であると、名前だけは聞かされていました。しかし、まさかそれが大統領代行その人であるとは、当時とし ては思いもつかなかったのです。
 第2代ロシア大統領を正式に決める選挙は、同じ年の3月に行われました。その選挙活動のさなか、多くの報道を通じてプーチン氏が「柔道通」であることは 広く知られるところとなります。柔道着を身にまとって稽古に励む姿をテレビで目にしたとき、遠いロシアの要人にも柔道の愛好家がいることに、改めてうれし さを感じたことを覚えています。
 聞くところによると、プーチン大統領はレニングラード国立大学在学中から柔道選手としてその名を鳴らし、ナショナルチーム選抜の一歩手前までいったほど の腕前だそうです。九州・沖縄サミットが開催された2000年7月、当地を訪れたプーチン大統領は、具志川市に立ち寄って少年柔道練成大会に出席されまし た。中学生相手の乱取りで投げたり投げられたりの一幕は、柔道を心から愛する大統領の人となりを感じさせてくれるものでした。

「柔」の心を知る達人

 そうした人間味あふれるプーチン大統領の姿を目の当たりにする機会が、それから間もなくして訪れます。その年2回目の来日となった9月、森善朗首相(当 時)との首脳会談を終えた大統領を講道館で出迎えました。本人のたっての希望により、その直後にアメリカに向けて出発しなければならないという過密スケ ジュールを縫っての訪問でした。われわれとしては柔道着に着替えていただく余裕はないと判断していたところ、すでに道着を手にして現れたのには驚きまし た。ロシアからこのために持参されたのでしょう。
 しかし、何よりも強く私の心を捕えたのは、そのスピーチです。森前首相や講道館の柔道家たちを前にこう話してくれました。
「講道館に来ると、まるで我が家に帰ってきたような安らぎを覚えるのは、きっと私だけではないでしょう。世界中の柔道家にとって、講道館は第二の故郷だか らです。日本の柔道が世界の柔道へと発展していくのはたいへん素晴らしいことですが、われわれにはもっと注目すべきことがあります。それは、日本人の心や 考え方、そして文化が柔道を通じて世界に広まっていくことです」
 日本の柔道家が同じことをいえば、ある意味でそれは当然でしょう。しかし、ロシアの、それも大統領がこれほど深く柔道の役割を理解していることに、私は 強く胸を打たれたのです。しかも、プーチン大統領は、講道館館長から送られた六段の紅白帯をその場で締めることを丁重に辞したうえ、こう言葉を続けまし た。「私は柔道家ですから、六段の帯がもつ重みをよく知っています。ロシアに帰って研鑽を積み、一日も早くこの帯が締められるよう励みたいと思います」
 この発言はいわゆるリップサービスだと、穿った見方をする人がいるかもしれません。多忙な大統領に練習のための時間などあるはずはないと。しかし、プー チン大統領が週に2回、今でも道場に足を運んでいることを私は知っています。この言葉は、心から発せられたものでした。

礼節を重んじ、心技を尊ぶ

 やはり同じ年の12月、今度は私たちがロシアを訪れることになりました。柔道発展のためにプーチン大統領が創設した、第1回ロシア大統領杯国際柔道大会 に招待されたのです。惜しくも日本は3位に甘んじる結果となりましたが、ここでも大統領の人柄に感動させられる場面がありました。
 大会後に開かれた懇親パーティーでのことです。出席するはずだったプーチン大統領の姿がいつまでたっても見えません。公務に忙しくて帰られたのだろうと 諦めかけていたころ、ようやく現れたのは1時間半ほどしてからでした。関係者に聞くと、当日はスタッフ向けからVIP向けまで4つの慰労会・懇親会が同時 に開かれており、労いの言葉をかけながらそのすべてを順に回ってきたというのです。敬意を込め、私がロシア語で「ナズダロービア(乾杯)」といってウォッ カの杯を差し向けると、大統領も微笑みながら「カンパイ」と返してくれました。
 ところで、開催地のマグニトゴルスクは古くから栄えた鉄工の町ですが、大都市ではありません。プーチン大統領が記念すべき第1回大会の場所として地方を 選んだ理由は、柔道を通じて辺境の地に暮らす人々に希望を与え、地域振興に寄与したいと考えたからだったといいます。競技に勝つことだけが、スポーツの目 的ではない。そんな大統領の思いが伝わってくるエピソードです。
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