講演録 / 新聞・雑誌クリッピング

2005年05月02日
あしたの自分へのエール 対談 人生の金メダルを取ろう!! 山下泰裕VS河合恒男

今、 日本の若者たちは大きな飢えをかかえながらどこかで閉塞的になってしまったのではないか(河合師)。そんな若者たちに語る言葉はないのだろうか。教師とし て教壇に立ちながら、柔道家としても後進の指導にあたられる山下泰裕氏と、同じく教師としても若い人々とかかわり続ける河合恒男師が、若者へ、そして大人 たちへ力強いエールを送る。

河合 本日は山下さんのエネルギーをより多くの若者たちに伝えられるよう、たくさんのお話をうかがいたいと思っております。
 ところで山下さんは小さいとき、どのようなお子さんでしたか。

山下 小さいころから体が大きく、元気のいい子どもでした。小学校時代はかけっこも球技も誰にも負けないし、腕力もある。でも、そのエネルギーをもてあまして結果的に物を壊したり、周りに迷惑をかけたり……。
 今から二十一年前、ロス・アンジェルスオリンピックで優勝したとき小学校時代の同級生が開いてくれたお祝いの会で、私は一枚の表彰状をもらいました。


表彰状 山下泰裕殿
 あなたは小学生時代その比類稀なる体を持て余し、教室で暴れたり仲間をいじめたりして我々同級生に多大な迷惑をかけました。今回のオリンピックにおいて は不慮の怪我にもかかわらず我々同級生の期待を裏切るまいと持ち前の闘魂を発揮して見事金メダルに輝かれました。このことはあなたの小学校時代の数々の悪 行を清算して余りあるだけでなく、我々同級生の心から誇りとするものであります。よってここに表彰し、偉大なるやっちゃんに対し最大の敬意をはらうととも に永遠の友情を約束するものであります。

というわけで相当暴れん坊でしたが、この表彰状はみんなの友情があふれている、今までもらった中で一番嬉しいものでした。

河合 山下さんが柔道を始められたきっかけは。

山下 近くに厳しい柔道教室があって、そこで鍛えられたら人に迷惑をかけなくなるのではと親に連れて行かれたのが始まりです。ところが、柔道はルールを守って先生の言うとおりにやればどんなに暴れても怒られません。あっという間に柔道が大好きになりました。

河合 本格的に柔道をなさるようになったのは中学生からだとうかがいました。そのころから柔道を通じて強さだけでないものを学ばれたのですか。

山 下 私が入った中学校はとてつもなく柔道が強かったのですが、ここの先生から本当の強さとは、真の柔道人とはということを教えられ、柔道の「道」を学びま した。 この中学には親元を離れて通っていました。実家に帰るたびに父に「今は柔道で活躍しているけれど、お前から柔道を取ったときに何も残らない人間に だけはなるな。柔道ができなくなってもちゃんと人生を生きていかれるだけの人間であれ」と、二十歳を過ぎるまで、「またかよ」と思うほど繰り返し言われた ことも、自分の基礎になっていると思います。

河合 ご両親から受けた影響も大きいものだったのですね。

山下 そうですね。母については小学校時代の忘れられない出来事があります。一つは二年生のとき。学校から帰る途中じゃんけんで負けた者が友だちのランド セルを持つという遊びがありましたよね。何人かでそれをやっていて、たまたま体の弱い子が皆のかばんを持っていた。そこに母が通りがかり、ものすごく怒ら れたのです。でもこれはゲームで、私が怒られる筋合いはありません。「俺、じゃんけんで勝ったんだよ。何で悪いんだ」って。すると母が言いました。「たと えじゃんけんで勝っても、体の弱い子がみんなのかばんを待ったとき、何で丈夫なお前が代わりに持つと言えないのか。お母さんはそのことが残念だ」。この言 葉には何も反論できませんでした。
 もう一つ、いじめられた子をかばって「なにやってんだ」と言っただけなのに、相手が「山下君がいじめた」と泣き出し、先生から怒られたということがあり ました。このとき「友だちをかばっただけで乱暴はしていない」と言ったら、しょっちゅう呼び出されて謝りにばかり行っていた母が、学校に行って先生に説明 をし、確認を求めたのです。母が自分を信じてくれたということがとても嬉しかった。その思いが、うそをつけない、人を裏切ることはできないという行動規範 になりました。
 わが家は食料品店を経営していましたから両親とも忙しく、子どもたちの教育には手が回らなかったと思います。でも、私にとって大きかったのは、いつも親 の一生懸命働く姿を目の前で見ていられたことです。ですから、親の言うことに重みを感じられました。

河合 私たちの親の世代は生きる姿勢を皆もっていたように思います。不完全なものだったかもしれませんが大人は子どもに自信をもって伝えるものがあった し、その中で子どもは取捨選択しながら、ときには反発しながら、基準となるものをつくっていきました。今の子どもたちは親の姿をとおして世間を知ることが できない、これは不幸なことかもしれません。

自分を磨き続ける努力
山下 実は今、日本柔道界で柔道ルネッサンス活動を始めています。柔道創設者の原点の理想に戻ろう、柔道をとおした人づくり、人間教育を考えようというものです。

河合 それは具体的にどのようなことをなさるのですか。

山下 柔道は人づくりだと言ってもらえるような柔道界を目指そうというものです。ですから一番取り組んでいるのが柔道人のモラルの向上です。
 それから、一つの大きな目標は、私自身の小学校時代の経験からもきているのですが、特に中学教育において自分をもてあまし、乱暴したり迷惑をかけたりし ている子どもたちを柔道に巻き込んで、彼らを鍛えるというのではなく、彼らのエネルギーをもっと価値ある方向へ向けていくようにしたい。また、友だちがい ない、自信がない、心を閉ざした子どもたちに、柔道をとおして自信をもたせていくことができるのではないか。そして少しでも成果が上がったら、柔道ができ るならほかの武道、ほかのスポーツでもできるはずですから、いろいろなスポーツと手を組んで、青少年の健全育成に何らかの役割を果たせるようになりたいと いうものです。

河合 私たちは競技者としての山下さんのご活躍はよく知っていますが、今うかがうと指導者としてもすばらしい教育観をもっていらっしゃいますね。

山下 選手時代は勝負に徹していました。でもその根底に中・高・大学で出会った指導者たちから繰り返して言われた「柔道のチャンピオンになることもすばら しいけれど、もっと大切なことは人生の勝利者になることだ。柔道を通じて培ったものは社会で必ず役に立つ。しかし同時に勉強もしっかりやっておかないと、 柔道のメダリストになれても人生のメダリストにはなれない。みんなが目指すものは人生の金メダリストだ」という言葉があるような気がします。
 柔道を始めたころの私の夢は、オリンピックに出たいというものでした。若いときはそれでいいと思います。テレビに出たい、大金持ちになりたい、有名人に なりたい、そういうエネルギーがあることは貴重です。でも、それを目指すにはテクニックだけでない、それにふさわしい人間にならなければということを、特 に指導者になって考えるようになりました。

河合 指導者となられた初めのころは勝ちたいという気持ちもあったのではないですか。

山下 確かに、最初は勝ちを求めていました。学生を育てたい、勝たせたいということももちろんですが、もしかしたら私自身が日本一の監督になりたい、とい う気持ちもあったのかもしれません。でも、教壇に立って教えるようになり、自分の考えが通用しなければ学生たちが社会に出て困ることになると考えたことか ら、私自身が世の中を知らなければいけないと感じるようになりました。
 ちょうどそのころ、文部科学省の保健体育審議会や教育課程審議会に参加するようになったのです。ところが、そういう場で私がつまらないことを言えば「山 下はこんなものか」と思われるだけではすまされない、「スポーツマンはこんなものか、柔道人はこんなものか」と思われてしまいます。自分が何も知らないた めに柔道界、スポーツ界が間違った判断をされることは耐え難い。これもいろいろ勉強をするきっかけになりました。
 もう一つ、二人目の子どもに自閉的な傾向があり、フリースクールに通っているのですが、彼をとおして学んだことがとても大きかったと思います。彼がいな かったら、勝者の立場からしかものを見られない人間になっていたかもしれません。選手時代の私は誰よりも努力して、誰よりも工夫してやってきたという自信 がありました。ですから、自分という基準しかもてなかったら、できない者に対して「努力が足りない、やる気がない」という見方しかできなくなっていたと思 います。


河合 「努力が足りない」というのは、親も教師もつい言ってしまいがちな言葉ですね。

山下 そうなんです。ところが、次男とともに生きていくことによって、弱者の立場が少しずつわかるようになりました。彼によって自分がずいぶん変わってきたと思います。

河合 山下さんは常に学ぶという姿勢をもっておられますね。それはすごいことだと思います。山下さんほどの実績と名誉があればそこで漫然としていても十分 かもしれない。でも、新しい出会いの中から学び続けようというパワーはどこから出てくるのでしょうか。

山下 柔道の指導者たちから、強くなりたいと思ったら人の話を素直に聞ける人間になれ、と繰り返し教えられました。それから、やはり子どもたちの役に立と うと思ったら自分が成長し続けなければならないでしょう。子どもたちを磨くことも大切ですが、私たちはときどき子どもを磨くことに夢中になって、自分自身 を磨くことを忘れてしまいます。教師としても人間としても自分自身がより魅力ある人問になっていく、その努力も大切ではないかと思います。
 大事なことは今をひたむきに生きること、そして未来、将来を見据えて生きていくことです。選手時代は過去の対戦成続も全部頭に入っていたのですが、今はどんどん抜けていきます。でも私はそういう姿勢が逆に大事なんじゃないかと思うのです。

豊かに生きよう!
河合 現代の若者はさまざまな問題をかかえているといわれていますが、彼らにもっとも伝えたいことは何でしょうか。

山下 まず、夢をもって生きてほしい。夢や目標をもつことはものすごく大きなエネルギーになります。そして、人は一人では生きられませんから、周りから支 えられるだけでなく、自分の周りを少し注意しながら、思いやりながら生きられる人間になってほしい。
 正直に心で話をすると若者はすごくそれを感じてくれます。彼らはいろいろなものを吸収できる、とても素直な部分があるのです。問題はむしろ私たち指導 者、教師があまりに目先、結果だけを求め、内面を見るだけの余裕がないことにあると思います。子どもの問題というより、社会の問題、大人の問題でしょう。

河合 なるほど。それではその大人たちにメッセージを送るとしたら、どのような言葉になりますか。

山下 大人はどうしても子どもの足りないところが目につきますが、初めから完璧な人間なんていませんし、同時にいいところが何もない人間もいないのです。 私たち親や教師も、間違いも失敗もある人間なんです。子どもの成長を願いながらかかわっていく中で、自分も成長していこうという気持ちも大切でしょう。
 また、今の私たちがあるのは、私たちの親の世代、その上の世代が一生懸命頑張ってきたからだと思います。ですから、まず私たちが自分の人生に対して感謝 をもって生きていく、ということが大事なのではないでしょうか。私は特定の宗教にはかかわりはありませんが、特にこの七、八年、目に見えないものを信じる ようになりました。誰も見ていなくても、目に見えない存在がおられると思ったら、自信が出ます。目に見えない存在に見守られていると思うのと思わないのと では、自分の生き方がとても違ってくると思います。

河合 キリスト教も私たちを支えてくださるもの、私たちの存在を包み込んでくださるものという考えにおいて同じだと思いますね。

山下 今はこういう時代だからこそ、本当は宗教には大事な役割があると思うのです。私は以前、地位もお金もないマザー・テレサになぜあれだけのすばらしい 活動ができたのだろうと不思議に思っていました。昔の私は、そういうことをやるためにはお金や特別な権限が必要だと考えていたのです。ところがそうじゃな いんですよね。

河合 マザー・テレサは「私は大きな海の一滴の水に過ぎない。でも一滴の水がなかったら海はなりたたない」と言われました。それから「私は人類を救おうと は思ったことがない。そばにいるこの人を助けたい。そして余裕があったら次のもう一人を助けたい」と。大きなことでなくてもいい、今自分ができる目の前の ことから、という生き方だったのでしょう。

山下 その生き方、その姿勢が周りの人に火をともす。それがだんだん大きな力になるのでしょうね。

河合 キリスト教の根本は生きていてよかったということなんです。それが一番大事なのではないでしょうか。生きることにもっとアプローチしたいですね。

山下 これは宗教だけでなく世の中全部がそうでしょう。教師も親も、大人も、子どもも、皆がもう一度生きる意味を考えて……。

河合 そして豊かに生きたいですね。本当に笑顔を忘れた私たちじゃないですか。しかめっ面をして、ストレスをためて、そんな大人ばかりでは子どもたちが大人になりたくないと言うのもわかります。

山下 笑顔は大事ですね。私は笑っていなくても笑っているように見えるんで、この顔でだいぶ得しているようなんです。

河合 なるほど。確かに笑顔は万国共通、100パーセント気持ちが通じますね。
 本日はありがとうございました。

●やました・やすひろ
1957年、熊本県生まれ。83年東海学大学大学院終了。現在、同大学教授、柔道部監督。国内外で、ひろく柔道を指導。1977年から85年に現役を引退するまで、203連勝の記録をもつ。84年、国民栄誉賞を授与された。
●かわい・つねお
サレジオ会司祭。1946年生まれ。現在、サレシオ学院中学校・高等学校校長。
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