講演録 / 新聞・雑誌クリッピング

2005年08月04日
『月刊:介護ジャーナル 通巻第173号』
まだ記憶に新しいアテネ五輪。ことに日本柔道の活躍は目覚しく、女子は 7階級のうち5階級で金メダルに輝いた。そんな日本の“お家芸”柔道の名勝負のひとつが、84年ロサンゼルス五輪での山下選手VSラシュワン選手の無差別 級決勝戦である。この試合のテレビ観戦を通じて柔道に魅了された人々も少なくない。現在は国際柔道連盟の教育コーチング理事として超多忙な日々を送る山下 さんに、柔道の、ひいては日本人の心についてお話を伺った。

自信と技で勝ち抜いた女子柔道
「47年間で去年がl番忙しかったですね。道場にも行けない状況で。年間120日も海外に出てましたから」と、大きな身体にやさしい微笑を浮かべて山下さんは語る。
「(アテネでは)個々の選手で活躍のチャンスはあると思っていたが、これだけいけるとは大変うれしい誤算でした」。
特に女子選手の大躍進の理由については、豊富な練習量に裏づけされた自信と“一本” を取れるしっかりした技を持っていたこと、そして選手以外で吉村監督 を始めコーチ、ドクター、栄養管理などの人々の力がうまくひとつにまとまった成果だという。女子の場合、谷(旧姓田村)亮子選手が出てきた頃から選手層の 裾野がガッと広がったが、中高一貫強化に取り組んできた全日本柔道連盟の力も大きい。
さて柔道といえば「柔よく剛を制す」のがその醍醐味だ。創始者は嘉納(かのう)治五郎(じごろう)氏(1860-1938)。講道館を創り、日本で最初の国際オリンピック委員となった。オリンピックで柔道が正式種目になったのは64年の束京大会から。
「現在国際柔道連盟に加盟している国は187カ国。陸上やサッカーに次いで5番目に多いそうです」と山下さん。こうした世界への柔道の広がりの底には、 「教育家である嘉納先生がご自分で世界を回り、弟子たちを海外に送ったこと。また戦後復興の原動力は日本人の精神にありと、柔道を奨励したことも関係して いると思いますね」


目に見えないものこそ大切に
今 の柔和な笑顔からは想像しがたいが、子供時代の山下少年は腕白で手がつけられなかったそうだ。「柔道でもやれば少しは他人に迷惑をかけないようになるんで はないかと、両親が勧めまして(笑)。身体が大きく運動能力も高かったし、性格的にも負けず嫌い。やはり柔道はそういう自分に合ってたんですね」。
こうして柔道との幸福な出会いによって人間の生き方を学んできた山下さんは、だから今の教育や社会の風潮について、人一倍懸念を抱いている。
山下さんは問う。「人間が人間たる部分とは、目に見えないものを大事にすることではないかと思います。でもどうですかね、われわれは?お金とか地位とか肩 書きとか、そんなことばかりを大事にしていませんか?それだけじゃなくて、目に見えないもの―たとえば相手に対する思いやりとかやさしさ、助け合いの心、 自分を育ててくれた親への感謝などをどんどん失っている。それはわれわれを人間らしくなくしているような気がしますね」。
NHKの『課外授業ようこそ先輩』で、山下さんも故郷熊本県の浜町小を訪ねて柔道の授業をした。「柔道は激しい競技なので、相手を思いやる尊敬の気持ちが大事であり、それを表しているのが“礼”なんだということを伝えました」。


介護はやりがいのある素晴らしい仕事
その授業は柔道を形だけで見ている人にとっては意外で物足りなかったかもしれないが、それこそが柔道の“核の部分”だと自分は思っていると、山下さんは言う。
「だから柔道というのは“道”であり、“人を作るもの”であって、相手がいてこそ自分が強くなれるんですね。その相手に対する尊敬や感謝の念を教えるために“礼”を使ったんです」。
山下さんが嫌いな言葉がある。それは「今の子どもたちは…」という言い方。子どもたちは決して勝手に育ったのではない。さらに嫌いなのは、「世の中が悪い んだよ」といった第三者的なもの言いだ。世の中が悪いのは、われわれl人ひとりにその責任がある。
ことに昨今は勝ち組・負け組のように、世の中を単純に勝ち負けや敵味方で区別しがちだが、もっと様々な価値観や環境があることをお互いが理解していくことが大切ではないか。
「私には他人の足りないところより、優れた点を見られる人の方がずっと素晴らしいと思えます」と、山下さんは真摯(しんし)な眼差しで深くうなずく。
「介護の仕事も同じですね。介護はお年寄りや困った人を助けて、少しでも人間らしく生きていくためのお手伝いをする、やりがいのある素晴らしい仕事です。 だから誇りを持っていただきたい。それに今の豊かな社会は、こうしたお年寄りの努力の積み重ねで築かれているんだということに思いをはせれば、自然とお年 寄りに対する態度も変わってくるのではないでしょうか」。
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