講演録 / 新聞・雑誌クリッピング

2005年08月05日
文藝春秋『日本はサムライ精神にかえれ』

尊敬される国になるために
―柔道で心身を培った財界総理が真率に提言する

奥田碩(日本経済団体連合会会長 トヨタ自動車会長)
(山下康裕氏とは柔道がとりもつ縁)

いま、世界が日本に向けている目には厳しいものがあります。日本は世界第2位の経済大国であるのに、残念ながら世界の人々の模範になっているとは言いがたい。
日本が世界の人々から尊敬を受ける存在になるためには、何が必要なのでしょうか。
戦後60年、日本人は「カネ」や「モノ」を最優先する生活を送ってきました。敗戦のどん底から経済的繁栄をかち得たのは素晴らしいことですが、反面、外国 からは「エコノミック・アニマル」などと揶揄され、国内では近年の凶悪犯罪の頻発など、大きなひずみが生まれてしまったことは事実です。私たち経済人も反 省しなければいけないのですが。
今日、日本は国の内外で激しい環境変化に直面しています。そうした中であらためて日本人の精神的バックボーンを取り戻す必要がある。私はそのとき拠り所に なるのは、「武士道的精神」だと思います。武士道的精神は戦後の経済至上主義の中で忘れ去られていましたが、日本人が取り戻し、さらに世界に広めていくべ き日本固有の価値観です。特に世界がアメリカ主導のグローバリズムに覆われつつある今こそ、武士道的精神、サムライの心は重要になっていると考えます。い きなり武士道というと唐突に聞こえるかもしれませんが、私は子どものときから親しんできた柔道によって、武士道精神を学んできたつもりです。
私が柔道をはじめたのは昭和20年、12歳のときでした。私は昭和7年生まれですが、この年代の男にしては、体格が若干大きかったため(現在約 180cm)、よくボートやバスケットなど他の競技に駆り出されることもありました。でも、気持ちの中ではもちろん柔道一筋でした。
学生時代、『姿三四郎』(富田常雄作)に出会ったのも、柔道により打ち込むきっかけになりました。『姿三四郎』は明治初期を舞台に、矢野正五郎(講道館の 創立者・嘉納治五郎がモデル)の「紘道館」柔道の誕生と、柔道青年・姿三四郎の闘いと成長を描いた物語で、当時、ベストセラーになりました。黒澤明監督に よる映画化の影響もあって、若者はみんな夢中でこの小説を読んだものです。その後マンガにもなっているようですね。
当時は「学生は本を読まなければいけない」という風潮が根強く、中学へ入ったら何かの本を持って歩くのが一種の流行でした。倉田百三の『出家とその弟子』 とか、阿部次郎の『三太郎の日記』のような哲学的、人生論的なものに人気がありましたが、そういう中で『姿三四郎』も読まれていた。『姿三四郎』があれだ け読まれたのは、単に三四郎が次々と柔術諸派の強敵を打ち破っていく痛快さからではなく、この物語の中にちりばめられている様々な人生観や人間観に共感で きたからだと思います。
たとえば、「弱いものをいじめてはいけない」「自分が強いからといっていばるな」「負けた者に対して惻隠の情や憐れみの心を持て」「ここぞというときは死 んでもいい覚悟でやれ」。こうした教訓は新渡戸稲造博士の『武士道』にも見られる、武士道的精神の基本的な考え方です。
そして「文明開化」の名のもとに急速に欧米の技術が流入する明治の世にあって、いかに日本人の精神を保持するか悩み格闘していた主人公たちの姿は、戦争と敗戦の混乱を経験した少年時代の私の胸にも響いてきました。
さらに言えば、あの頃の日本の男性の理想像は姿三四郎であり、女性の理想像は三四郎に思いを寄せてずっと待ち続けた乙美でした。今の時代はそういった「男 は、女は、こうあるべき」という考え方は古臭いと敬遠されます。それはそれでいいことだとも思いますが、その一方で、この物語によって私の女性観が形成さ れたのも事実です。


山下さんの柔道普及活動に共鳴
私は先月、ロサンゼルス五輪金メダリストの山下泰裕さんと共著で『武士道とともに生きる』(角川書店)という本を出版しましたが、山下さんとの出会いのきっかけも『姿三四郎』でした。
2004年4月、「日ロ賢人会議」(日本側の座長=森喜朗前首相、ロシア側の座長=ユーリー・ルシコフ・モスクワ市長)がモスクワで行なわれ、私もメンバーに選ばれて出席しました。出席者の中に山下泰裕さんがおられたのです。
各委員が順番に日ロ友好のための提言を発言していったときでした。最後に立った山下さんは、「自分は柔道しか知らない。だけど、その柔道を通じて、日本の武士道の精神やサムライの精神を世界に広げたい」という話をされました。
それを開いた私は、ハッとしました。『姿三四郎』があるじゃないか、と思ったのです。『姿三四郎』は、武士道の典型のような話です。それを翻訳して世界中で出版してはどうだろうかと、山下さんに提案しました。
それがきっかけとなって私は山下さんと柔道や武士道について時間のたつのを忘れて話しましたが、それはたいへん有意義なものでした。
山下さんによると、現在、国際柔道連盟(IJF)に加盟している国と地域は187もあるそうです。これは、オリンピック種目になっている競技団体として は、陸上やサッカーなどに次いで多い。スポーツに限らず、文化や経済面を見渡してみても、日本で生まれたものがこれだけ世界の人々の間に普及している例は めったにないのではないでしょうか。
そうした中で山下さんは2003年秋から国際柔道連盟の教育・コーチング担当理事をやっておられる。ひところの柔道の国際試合では、「とにかく勝てばいい んだろう」とばかりに、腰を引いて、手を突っ張って、ポイント狙いに走る柔道が多く、コーチはコーチで審判の判定に一々文句を言ったりして見苦しいものが ありました。ところが、昨年のアテネ五輪では非常にすっきりとした試合が多く、コーチのマナーも良かったと思います。これは山下さんが世界の柔道関係者に 嘉納治五郎の柔道精神を諄々と説き、その熱意が世界の人々に通じたためだと思います。
また山下さんのやっておられる「柔道を通した人間づくりをしていこう」という「柔道ルネッサンス」運動や、戦争で疲弊したイラクの柔道連盟への支援、それ からIJFと全日本柔道連盟と東海大学が共同で進めている、国内で着古した柔道着を世界の貧しい国に送る「リサイクル柔道着」運動などにも、大いに共感し ました。私はこの頃「来年には経団連会長を辞め、トヨタの会長も辞める」と宣言して回っていますし、多分その通りになるはずです(笑)。来年からは時間が できるので、ぜひそうした活動をサポートしていきたいと思っています。日本の価値観を世界に向かって丁寧に説明し、理解してもらうために努力をする、とい う点では、柔道は政府の外交よりも先を行っているかもしれません。その先頭に立つ山下さんの活動は、世界中の人を相手に車を作って販売しているトヨタの仕 事に対しても、示唆に富むものがあります。
私は一橋大学商学部に入学してからも柔道部に入部し、ほとんど毎日稽古に明け暮れる日々を送っていました。専攻が近代経済学でしたので、誰もいない部室で暇つぶしを兼ねてケインズやシュンペーターを読んだこともありました。
柔道には大ざっばに言って背負い投げや内股といった立ち技を重視する講道館柔道と、寝技を得意とする流派の二つがありますが、私が得意なのは立ち技でし た。私の師匠は寝技の達人で、稽古が始まったらすぐ「寝る」ような人でしたが、私は「寝る」のが嫌いで、その頃盛んだった立ち技一本でやっていました。お かげで、柔道を長くやっても耳の形が変形せずに済みました(笑)。
それに対して、戦前戦中の旧制高校では寝技を中心とした柔道が盛んでした。有名なところを挙げれば、新日鐵の永野重雄さんや読売の正力松太郎さん、作家の井上靖さん。こうした人達は寝技が得意だった。寝技の方が、より実戦的だったからでしょう。
私は大学の道場に通うかたわら、水道橋の講道館にもよく稽古に行っていました。そこに、当時全盛だった栃錦や若乃花をはじめとした相撲取りも来ていたので す。彼らの稽古を見たのですが、ほとんどの柔道選手は立ち技では太刀打ちできない。そこで寝技に行く。横綱や大関に勝つには、彼らの首を絞める、つまり完 全にチョークするんです。そうすると彼らはすぐ「まいった」したものです。
後年、外国出張に行った折に、私が柔道をやっていると知っている現地法人の人などから、「ここにも柔道場がありますよ」と誘われたことが何度かありまし た。行くと、身長2メートルもあるような大きな外国人が出てくる。その場合は、寝技に持込み、最後に首を絞めて勝つというのが私のスタイルでした。外国人 というのは不思議と、「落ちる」(絞め技によって呼吸困難になり一時的に気絶する)ことをひどく嫌がるのです。一度落ちたらもうこの世に帰って来られない のではないかという、「落ちる恐怖」があるようなんです。日本人は基本の段階でみんな「落とされる」練習をしますが、外国ではやらないようです。同じ柔道 といっても、国によって微妙な違いがあるところが面白い。
ところが近年、ブラジルのグレイシー柔術の選手が日本にやってきて、日本の格闘家やレスラーと試合をしていますが、これがめっぽう強い。今は日本の柔道よ り強いのではないかとさえ言われています。グレイシー柔術は寝技中心ですが、明治時代にブラジルへ柔道を広めに渡った前田光世の教えが、現地で100年の 間に独自の発展をして、日本に逆輸入されているわけです。
米国の駐日大使をしていたトーマス・フォーリーさんもグレイシー柔術をやっていました。私は大使が離日されるときに、柔道着をプレゼントしました。オリン ピックの柔道をみていても、たとえばサンボ(ロシア)や韓国・モンゴル相撲の出身者は、すくい投げや諸手刈りなど、講道館柔道にはあまりみられない、昔の 柔術の技を持っている。最近、日本人選手がやられているのは、全部、そんな技です。しかし考えてみれば、日本から外国に出て行ったものがまた日本に戻って くるというのは、経営においてもよくあることです。日本的な経営手法が外国に伝わって、向こうで作られた製品が日本市場に入ってくる。これが国際化であ り、色々なものがミックスされて一つの国際的な基準、デファクトスタンダードができるのです。
深夜にテレビでときどき、K-1やプライドや総合格闘技の番組を観ることがありますが、観ながらそんなことを考えることもあるのです。


「死ねばいいんだ」という境地
私 が柔道から得たものは、まず、頑健な肉体です。昭和30年にトヨタ自販に入社してから、若い頃は2晩でも3晩でも徹夜して平気でした。また、長幼の序も教 え込まれました。そして、それらに増して何より大きかったのが、人間としての精神的な財産です。倫理観や道徳観、人はどう生き、どう死ぬべきかという「死 生観」も、柔道を通じて教えられたものです。私は今日までさまざまな決断を迫られる場面がありましたが、いま振り返ってみても、この「死生観」を持ってい たかいなかったかでは、大きな差が出ただろうと思います。
私が会社に入ってすぐに秘書 のように仕えたのは、「販売の神様」と呼ばれた神谷正太郎元トヨタ自販社長でした。入社間もないころ、神谷さんの部屋へ行くと、なぜか仏像がたくさん飾っ てある。「なぜ会社にこんなに仏さんがいるんですか」と尋ねました。すると神谷さんは、「それはおまえも年を取りやぁ分かるようになるよ。やっぱり自分は 孤独だ。だから、自分の頼るものは仏さんしかない。この仏さんの前に座って、そこで決断するんだ」とおっしゃったんです。また、豊田章一郎名誉会長も、そ の立場から、日々様々な決断をしなければならないのでしょう。毎日出社前に数分、仏壇の前で正座されていると聞いてます。つまり、最後の決断の支えになる のは神や仏、あるいは死生観のようなものなのです。
莫大な金額を投じて海外に工場を作るような大きな決断は、おいそれとはできません。悩みぬいたあげく、最後には「死ねばいいんだ」という覚悟に達しなければ、トップの決断はできないのです。
昔のサムライは、絶えず死ぬことを意識しながら生きていました。いつ戦場に行けといわれるかわからないし、いつ切腹を命じられるかもしれないのです。『姿 三四郎』でも、三四郎は宿敵の檜垣源之助との決闘や津久井譲介との試合に向かう前、「戦うべきか」「勝つことはできるのだろうか」など、いろいろ考えて悩 みぬく。そして最後に彼が思ったことが「死ねばいいんだ」という表現になって出てきます。
ただ自暴自棄になって、「死ねばいいんだろう」というのとはまるで違います。全力で精一杯の努力をし、悩みに悩みぬいた上で達する最後の境地が、「死ねばいい」なのです。
禅宗の高僧と精神分析の大家はほとんど同じ境地に達するとよくいいます。私も何人かそういう人を知っているのですが、彼らが言うことは大概共通しているのです。
「なるようになるし、なるようにしかならん」
これは一種の悟りといいますか、思いきりやるだけやってそれでダメだったらもうダメということです。経営においてもそうだと思います。精一杯のことをやって出てくる結果は、実は「なるようにしかならない」のです。
人は必ず死ぬ。それを見ないようにしても必ず死はやってくるのです。それを真剣に考えた先にどう生きればいいかという答えが見えてくると思います。こうし た意識は、潜在的にずっと私の中にありました。生まれ落ちたときから、生死の関頭に立っているという緊張感を持って過ごすことで人生の充実感が生まれると 思うのです。しかし、日本人にとって、死と向き合い、死を考えるということが、いつの間にか日常からかけ離れたことになってしまいました。


堀江貴文氏をどう考えるか
話を「決断」に戻すと、トヨタ自動車の海外進出は、大きな決断のひとつでした。中国へ数千億円かけて工場を作るときや、フランスへ進出するときなど、私も決断するまで悩みに悩んだものです。
しかしこれはある意味で理詰めの決断でもありました。日本国内向けに自動車をつくって売っている限り、地理的に考えて六百万台以上の需要は国内にはないの です。ところが、供給サイドはいくらでも供給できる力がある。では需要をどこに探すかといったら、世界しかない。だから、世界へどんどん打って出るべきだ ということで、実際に世界へ打って出たのがトヨタの場合、比較的早かった。だから、一周も遅れずに世界の潮流についていけたのです。トヨタとしては非常に うまくチャンスをつかんだと思っています。
1989年、自動車部品メ一カーの小糸製作所がブーン・ピケンズ氏率いるブーン社に買収されかかったことがありました。トヨタ自動車は小糸製作所の大株主 でした。当時、財務経理担当専務を務めていた私は、先手を打って「株の買い戻しはしない」と宣言しました。あれも一つの決断でした。
もしトヨタが小糸製作所株を高値で買い戻せば、ピケンズ氏はその金を元手にして、また他の会社へ敵対的買収を仕掛ける危険がありました。トヨタ自動車とし ては、言ってみれば、日本企業のトップバッターとしての洗礼を受けたわけです。「ここで我々が妥協したら日本の経済が崩れてしまう。日本の企業が買収家に ズタズタにされる前例をつくるわけには、何としてもいかない」という使命感がありました。「何が何でもこれは絶対に頑張らなければいけない。そういう信念 を絶対曲げてはいけない」という思いのもとに行なった決断でした。
いずれの場合も、自分の決断が引き起こす結果について、潔く受け止めようという気持ちがあったのは事実です。その覚悟は、私が柔道をやり、武士道の考え方に接していたからできたものだと思っています。
現在60歳以上の人たちは、いま私が述べたような価値観や死生観に親しんでいたことと思います。しかし、戦後六十年、私も含めて我々の世代は若い世代に日本の独自の武士道的精神を伝える努力を怠ってきました。
とかく現代の日本には、「自分さえよければいい」「勝ちさえすればいい」「カネが儲かればそれでいい」という風潮がはびこっています。「カネが儲かれば女 だってついてくるんだ」という理屈は、今の若者には非常にわかりやすいのかもしれませんが、それが現代の哲学のようにとらえられることは、大変心配です。
今年の春先、ライブドアの堀江貴文社長がニッポン放送株の買収で世間をアッと言わせました。私は今の若いジェネレーションの人がああいうことをやること自体に反対するものではありません。
私はいつも若い人にこう言うのです。「批判を受けても、何もディスカレッジされることはない。年寄りというのは何千年も前から必ず若者を見ると『今の若い やつは』と言うに決まっている。そういう年寄りも、いつかは死んでいくんだから」と。現在の世界はいつか終わってしまう世界で、今度は自分たちの世界が来 るわけです。だから、そういう意味では、今、堀江さんをはじめとする若い企業家がIT産業を立ち上げ活躍されていることについて、私は諸手を挙げて賛成し ます。
ただ、やり方の問題はあったでしょう。そもそものニッポン放送株の買収の手法は「礼に始まり……」という武士道的精神とは違っていたのではないでしょうか。
また堀江さんは、「金にも権力にも名誉にも実は全然興味がない。だって、もうすべて手に入れちゃったから」(「文藝春秋」5月号)と発言されていますが、 若くして何千億儲けたからといって、それがそのまま人生の勝利といってよいのでしょうか。それは一時の勝ちに過ぎないかもしれません。長い人生、負ける場 面も出てくることがあると思います。大切なのは、人間としての精神の豊かさや広がりを育むことです。こういうことを言うのも、私がオールドジェネレーショ ンだからかも知れませんが。
今の若者の多くは世界的なグローバリズムと情報化の進展の中で、「勝ち」と「負け」しか存在しない幼稚で簡単な世界を生きているように思います。教育を通 じて若い世代に日本人の伝統的な価値観を伝えていくことも急務です。いま、「教育基本法」を改正するといった話も出ていますが、法律や制度をいじる以前 に、実際にサムライ精神や武士道精神を家庭や学校で学ばせることが大事だと思います。山下さんは、「柔道ルネッサンス活動」の中で、日本中の中学校に呼び かけて、問題のある生徒を柔道場に呼んで、柔道を通じて共に汗を流そうという運動もやっているそうです。これなどは、体を通じて武士道精神を伝えるという 非常にいい方法だと思います。


「惻隠の情」を持つこと
21世紀の世界の趨勢を見ると、先進国と発展途上国、持てる国と持たざる国の格差がはっきりとしてきました。会社と会社の関係、発注先と下請けの関係でもそうですが、これらの関係をうまくやっていくことが、21世紀の人類にとって大きな課題です。
こうした格差が生じるのは、グローバリズムの影の部分です。この課題をクリアするためには、武士道的な精神が大事になってくると考えます。
たとえば、中国の反日デモは、あれはあれで一つの社会現象だと思います。だから、反日デモをするからけしからんとか、生意気だとか言う必要はありません。 ああいう現象に対して、日本としてどう対応するかということを冷静に考えて解決を図ればいいのです。中国との問題については、根本的なところから一気に解 決していくことは難しいと思います。一つ一つの問題を取り上げて、けしからん、やめさせろとか、そういうことではなく、とにかく話し合いを続けながら、の どにとげが刺きったままでも良いから、少しでも前に進むことが現実的ではないかと思います。
「百年河清を俟つ」と言いますが、あまり完璧を求めず、次善でも良いからできることを着実に積み重ねてゆく。目先のことに一喜一憂せず長い目で見ていくことが大切です。
つまり、常に日中関係を長期的に発展させるという大局を見失ってはいけないということです。
日本人は幸か不幸か戦後60年の間に物質的にとても豊かになりました。しかし物質的に豊かになった反面、精神的にはかえって貧しくなったかもしれません。 21世紀の日本人は自分たちを精神的に浄化していくことが非常に大切です。それが日本が世界で尊敬されるための道です。そのとき大切な考え方が、武士道的 精神で言えば、「惻隠の情」なのです。
台湾の前総統、李登輝氏の著書『「武士道」解題』にも、日本の「武士道的精神」が現代の国際情勢の中でいかに重要な価値を持ちうるかということが説かれています。李氏は、新渡戸稲造の『武士道』における「惻隠の情」をこう説明しています。
「要するに、相手の気持ちを忖度できるような寛く深い愛情に裏打ちされた『思いやりの心』」であると。
私も「惻隠の情」はグローバリズムのすすむ21世紀の世界に向かって日本が発信するべき大切な価値観であると考えています。
高度成長期以降、アジアの国々には多くの日本企業が進出しました。これは70年代に約7年の間フィリピンのマニラに赴任していた私の実感に基づいているの ですが、日本人のなかには、どうもアジアの人たちに対して優越感や差別する気持ちを持っている人が多いと感じます。彼らはお金がなくて貧しいとか、日本人 に比べて労働意欲が薄いとかいう差別意識を持っている日本人がいました。私はこれが非常に嫌なんです。
マニラ駐在時も、日本人はフィリピン人社員に対して「目を離すとすぐサボるんじゃないか」と疑いの目で見ている傾向がありました。でも思い返してみれば、 日本もエアコンのなかった時代の7月、8月は、暑くて生産性がガタガタになってしまったものです。会社に行くとステテコ姿になって、団扇で扇いでボーッと していたりした。あれと同じ状態が暑い国へ行くと一年中続くわけです。家へ帰っても暑いし、夜もよく寝られない。それから、子どもがたくさんいるから、狭 い部屋にザコ寝です。
日本人スタッフは会社ではエアコンの効いたビルの中から指図をして、家へ帰ればメイド付きの豪邸です。いいものも食べられる。それで現地の人が仕事をしな いなどと文句を言うのはナンセンスです。しかし、こうしたことの理解すらできない日本人というのも結構いるのです。日本人だけでなく、アメリカ人、ヨー ロッパ人の中にもいます。けれども日本の武士道的精神、サムライ精神の中には、そういう人と平等に付き合い、思いやりをもって接するという価値観が昔から あったのです。海外で成功する日本人は、例外なしにそういう心を持っている人です。私もマニラ赴任中は、日本人と付き合うよりもフィリピン人社会の中に進 んで飛び込み、彼らと意見を交換したものです。


グローバリズムの今こそサムライ精神を
ト ヨタは中国、東南アジアをはじめ世界中に生産拠点を持っていますが、我々が海外へ出ていくときにいちばん大切にすることは、「現地の従業員を大事にする」 ということに尽きます。それぞれの国により、政治的、社会的、経済的状況は異なっており、どこでも何らかの問題を抱えています。現地の人の立場や苦しみを よく分かってあげて、現地の人との精神的なつながりを大事にする。あえていえば、これが「日本的経営」の神髄です。「日本的経営」というのは、社長と社員 の駐車場が平等だからいいとか、社長と社員が一緒に食事をしているからいいとか、そんなものではないと思います。もっと精神的なところで、日本企業と現地 従業員が平等に接するということなのです。
そういう意味では、私は松下幸之助さんは武士道的精神を真の意味で体得されていた経営者のお一人だと思います。松下さんの従業員を大事にする経営や、早く から「日本の中だけではだめだ。世界の中へ打って出よう」という姿勢はサムライ精神の現れです。松下政経塾を作って人材育成をするなど社会貢献の上でも大 きな方でした。
柔道の試合でも当然、勝者と敗者が出ます。しかし、勝った者がガッツポーズをしたり負けた者に対して勝利を誇示することを、柔道では戒めています。これも また「惻隠の情」です。また、柔道にしろ、空手にしろ、絶対に喧嘩には自分の習得した技を使ってはいけないということが規律としてあります。
それと同じで、弱者や貧困国をいじめるために、あるいはそういう者から収奪するために自分たちのお金を使うことはあってはならない。
私たちは経済における競争それ自体を否定することはできません。競争があるから経済は成長するのです。柔道の試合で必ず勝者と敗者が出るように、経済にお ける競争でも個人や企業や国のレベルで敗者が出ることはある意味仕方がありません。大切なのは、生まれた敗者を復活させるシステムを社会全体で構築するこ とです。これは政府の仕事であり、大企業の仕事でもあるでしょう。弱者に対してはいわゆる社会的なシビルミニマムで保障する一方、敗者には何回でも挑戦で きるシステムを日本の中でも世界的にもつくっていかなければいけないと思います。国と国との関係でも、個人と個人の関係でもあり得る話です。
これは、今後の社会保障をどうするかということにもつながってくる議論です。単に弱者にお金を支給すればいいという話ではなく、一度敗れた人をどうやって また救い上げて、元の軌跡に戻すのか。これが社会保障の本来の根底であって、単なる弱者救済よりも、積極的な意味での社会保障が必要になってくると思いま す。
グローバリズムを世界に押し広げたアメリカの中では「俺は強くて正しい。だから俺の言うことを聞け、俺の言うことを聞かないのはダメな奴だ」という考え方 が垣間見えているように感じます。そのアメリカへの反発が、世界各地で頻発するテロや紛争の一因になっていることは否定できない面があります。こういうと きこそ、日本は「惻隠の情」という武士道的価値観を世界に広げるために努力すべきでしょう。
いっぽうでアメリカほどあらゆる移民を受け入れ、人々に平等にチャンスを与えている国はありません。そうした面は積極的に学ぶべきでしょう。
私は、日本は近い将来、労働力として外国人移民を受け入れざるを得ない方向に向かうと考えています。「外国人労働者を受け入れたら治安が悪くなるからダメだ」などといつまでも言っていたら、日本という国はダメになります。
今後は高齢者や女性にも今までより働いてもらう。これは少子・高齢化社会対策として当然行なうべき政策です。しかしそうした政策を実行したとしても、今の 低い出生率が続けば高齢化社会は支えきれなくなります。ですから、人口の絶対量の問題から言っても、遠くない将来、外国人を受け入れる日が来ると考えま す。
そのときに、アメリカと同じように平等にチャンスを与えて、ジャパニーズ・ドリーム的なものを、日本に入ってきた人たちも含めた日本人全体が感じられるようにすることが、非常に大事になってくると思います。
普段は質実に暮らしながら、ここ一番では死を恐れぬ命懸けの決断をし、弱い者、失意の者に対しては「惻隠の情」を持って温かく手をさしのべる――「日本人 はサムライの子孫だけあって、武士道的価値観を身につけた素晴らしい人々だ」と世界から尊敬を受けるような日本を我々は目指すべきです。
そして、金儲けでもなく、ましてや武力でもない、21世紀の「新しい旗」を、日本人も持たなければならないと思うのです。

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