頑張る人への共感を、すべての若者たちに伝えたい。
夢 や希望を持てない若者が増えていると言われる現代。自分の夢に真正面から取り組み、実現させてきた先輩たちの目に、現代の世相や若者たちの姿はどう映って いるのだろうか。自らの未来を前向きに切り拓く若者を応援するブランド"ジョージア"を擁する、日本コカ・コーラ社長の魚谷雅彦氏が語った前回に続き、今 回は、強い想いで夢をつかんできた2人の先輩たちにインタビュー。その生き方に共感する日本コカ・コーラから、若者たちに向けたメッセージとして発信す る。
若者の夢の実現を応推するメッセージで
パワーをチャージ
経済が回復基調に乗り始め、ようやく明るい兆しが見え始めてきたとはいえ、現代の若者たちを取り巻く環境に、順風ばかりが吹いているわけではない。しか し、厳しい状況のなかででも、自分らしい夢を描き、未来を切り拓こうとしている若者も存在する。日本コカ・コーラ(株)の魚谷雅彦社長は、「明るい未来を 描きにくいと言われる今だからこそ、『夢』を持ち、明日を切り拓いていく若者に期待したい」とメッセージを送る。
今回は、世界の柔道界で数々の偉業を成し遂げ、現在も新たな夢の実現に向けて邁進する東海大学教授の山下泰裕氏と、航空業界初の女性役員となり、その後の 活躍にも注目が集まる全日本空輸(株)執行役員客室本部長の山内純子氏にインタビュー。困難を乗り越え、自分の未来を切り拓いてきた経験を持つ2人から の、現代の若者に向けたメッセージを受け止め、強力なパワーをチャージしていただきたい。
強く願い続ければ、「夢」は必ず実現できる。
自分らしい未来に向けた夢に挑戦してほしい。
貫き通した少年時代の夢。
強く願い続ければ望みはかなう
30 数年前、中学2年生だった山下泰裕少年は、「一所懸命柔道の稽古に励んで、将来はオリンピックに出たい。メインポールの日の丸を仰ぎながら君が代を聞けた ら最高だろう。そして選手を辞めたら、世界の人々に柔道を広げる仕事をしたい」と、「将来の夢」と題した作文に書いていたという。
「子供の頃は、悪ガキだったんですよ。体は大きいし、スポーツも得意、喧嘩も得意(笑)。エネルギーを持て余していて、周囲に迷惑もかけました。それで、 近所の厳しい柔道教室に連れていかれたのが柔道との出会いなんです。ところが、柔道はルールを守ればどんなに暴れても怒られない。エネルギーを発散でき、 有り余る闘争心を満たしてくれる柔道の激しさに、たちまち夢中になっていったんです」(山下氏)
「将来の夢」のひとつは、1984年のロサンゼルスオリンピックで実現。ただし実際には、山下氏にとってオリンピック出場のチャンスは3回目だった。1回目は補欠、2回目はモスクワオリンピックのボイコットで参加できず……。
「3回目にようやく、それも足を怪我して、苦しんで苦しんで、最後のチャンスを勝ち取ることができた。表彰式で日の丸を見ながら、『オレは世界一幸せな男 だ』と思いました」と、山下氏は、当時を振り返る。もちろん、自分も誰より頑張ってきた。しかしすばらしい恩師との出会いや、切磋琢磨してきた多くの稽古 仲間がいたからこそ、自分の夢が実現できたのだという。
さらに2003年、山下氏は国際柔道連盟の教育コーチング担当理事に就任。世界における柔道の普及と発展という、まさに夢の通りの仕事に就く。
「やはり夢を持ち続けることは大事です。そして強く願えば、望みはかなうんです」(山下氏)
柔道を通した"人づくり"を世界に広めていく新たな夢
「自分は欲張りな人間だから、人生を5~6回は生きたいんだ」と山下氏は笑う。最初の人生は選手として、第二の人生は指導者として、そして今、第三の人生 として、「柔道の原点に戻り、柔道を通した人づくりを進める『柔道ルネッサンス』に全力を注いでいる」と山下氏は語る。荒廃した中学教育のなかで、自分を 持て余している子供たちには、柔道を通してそのエネルギーをより価値ある方向へ向けていってほしい。逆に「友だちがいない」、「自信がない」という子ども たちにも、柔道を通して心身を鍛えてほしいと、山下氏はメッセージを送る。
「さらに、リサイクル柔道着の寄贈などの支援活動や柔道教育用DVDの制作・配布などにより、日本の伝統文化である柔道を通した異文化交流にも取り組んでいます」(山下氏)
この活動には、奥田碩経団連会長と山下氏が、真剣勝負の意味から教育問題までを語り合った『武士道とともに生きる』(角川書店・利益を活動基金に寄付)の刊行をはじめ、官民を問わず、幅広い協力の輪が広がっている。
好きな言葉は『夢への挑戦』。そして常に新たな夢に向けて挑戦を続ける山下氏。現代の若者たちに「何をしたら、自分らしく生きられるか」を考えることの大切さを訴えたいという。
「自分の好きな仕事なら何時間でも続けられるし、やり遂げた後には心地よい達成感がある。今の楽しさを少しだけ我慢すれば、明日が、未来がもっと楽しくなると思ってがんばって欲しいですね」とエールを送ってくれた。
喧嘩も得意(笑)。エネルギーを持て余していて、周囲に迷惑もかけました。それで、近所の厳しい柔道教室に連れていかれたのが柔道との出会いなんです。と ころが、柔道はルールを守ればどんなに暴れても怒られない。エネルギーを発散でき、有り余る闘争心を満たしてくれる柔道の激しさに、たちまち夢中になって いったんです」(山下氏)
「将来の夢」のひとつは、1984年のロサンゼルスオリンピックで実現。ただし実際には、山下氏にとってオリンピック出場のチャンスは3回目だった。1回目は補欠、2回目はモスクワオリンピックのボイコットで参加できず……。
「3回目にようやく、それも足を怪我して、苦しんで苦しんで、最後のチャンスを勝ち取ることができた。表彰式で日の丸を見ながら、『オレは世界一幸せな男 だ』と思いました」と、山下氏は、当時を振り返る。もちろん、自分も誰より頑張ってきた。しかしすばらしい恩師との出会いや、切磋琢磨してきた多くの稽古 仲間がいたからこそ、自分の夢が実現できたのだという。
さらに2003年、山下氏は国際柔道連盟の教育コーチング担当理事に就任。世界における柔道の普及と発展という、まさに夢の通りの仕事に就く。
「やはり夢を持ち続けることは大事です。そして強く願えば、望みはかなうんです」(山下氏)
柔道を通した"人づくり"を世界に広めていく新たな夢
「自分は欲張りな人間だから、人生を5~6回は生きたいんだ」と山下氏は笑う。最初の人生は選手として、第二の人生は指導者として、そして今、第三の人生 として、「柔道の原点に戻り、柔道を通した人づくりを進める『柔道ルネッサンス』に全力を注いでいる」と山下氏は語る。荒廃した中学教育のなかで、自分を 持て余している子供たちには、柔道を通してそのエネルギーをより価値ある方向へ向けていってほしい。逆に「友だちがいない」、「自信がない」という子ども たちにも、柔道を通して心身を鍛えてほしいと、山下氏はメッセージを送る。
「さらに、リサイクル柔道着の寄贈などの支援活動や柔道教育用DVDの制作・配布などにより、日本の伝統文化である柔道を通した異文化交流にも取り組んでいます」(山下氏)
この活動には、奥田碩経団連会長と山下氏が、真剣勝負の意味から教育問題までを語り合った『武士道とともに生きる』(角川書店・利益を活動基金に寄付)の刊行をはじめ、官民を問わず、幅広い協力の輪が広がっている。
好きな言葉は『夢への挑戦』。そして常に新たな夢に向けて挑戦を続ける山下氏。現代の若者たちに「何をしたら、自分らしく生きられるか」を考えることの大切さを訴えたいという。
「自分の好きな仕事なら何時間でも続けられるし、やり遂げた後には心地よい達成感がある。今の楽しさを少しだけ我慢すれば、明日が、未来がもっと楽しくなると思ってがんばって欲しいですね」とエールを送ってくれた。