講演録 / 新聞・雑誌クリッピング

2005年09月05日
「柔道ルネサンス」戦う相手は敵じゃない。

対談 山下泰裕 東海大学教授 × 細川伸二 天理大学教授

今、世界の柔道は"勝つための柔道"が主流になってきている。数々の金字塔を打ち立て、引退後、指導者として活躍する山下泰裕氏は柔道の原点に立ち返る 「柔道ルネサンス」を唱えている。その山下氏に、元全日本代表コーチで天理大学教授の細川伸二氏が、柔道の精神と指導者の在り方を聞く。

夢にささえられて
細川:山下先生とは、全日本柔道選手として出会って以来、長くお付き合いいただいていますが、先生が柔道をする動機は何だったんですか?私は体が小さかったのでいじめられて、「負けたくない。強くなりたい」という気持ちからでしたが……。

山下:私は小学一年生で六年生並みの体格で、暴れん坊の問題児でした。「山下がいるから学校に行きたくない」と登校拒否する生徒がいたぐらいです。そんな 私を何とかしようと、近所の方が「柔道でもやらせたらいいんじゃない」「柔道って厳しいらしいよ。柔道したら少しは悪さが治まるんじゃないの」と両親に助 言したのが最初です。

細川:そのきっかけ以来長い選手生活が始まるのですが、先生はずっと柔道が好きだったんですか?「やめたい」と思われたことはなかったんですか?

山下:柔道は、柔道着を着て、先生の指示と決まりを守っていればいくら暴れても、誰からも何も言われない。ですから、練習がきついと思ったことはありますが、「やめたい」と思ったことはなかった。

細川:私はやめたくてやめたくて、天理高校の柔道部に入ってから特にそう思いました。でも「強くなりたいから」と、両親の反対を押し切って天理高校に入学 したのと、恩師の加藤秀雄先生に毎日毎日「今日だけ頑張れ。後一回だけ練習したらいいやないか」の言葉で続けてきました。

山下:私は中学生のときに「将来の夢」という作文を書いたのですが、その中で、「オリンピックに出場して、メインポールに日の丸を掲げながら『君が代』を 開きたい。そして柔道の素晴らしさを世界の人々に広げられるような仕事をしたい」と書きました。どういう気持ちで書いたかは分からないですが、ただ一つ言 えることは、正直に書いたことは間違いない。そしてこれは、私の中学時代の恩師、白石礼介先生に夢を持たせていただいたから書いたのだと思う。先生は私を 見たときに「これは世界を狙える」と思ったそうです。そして「お前も大きいけれど、お前が将来戦うのは、お前より大きな相手だよ」と言われ、道場にテレビ を持ってきて、オリンピックを見せられた。それが、知らずしらずのうちに自分の夢となり、私の心に生き続け、それに支えられていた気がしますね。柔道であ れ仕事であれ、夢を持っている人は、常に前を見て、先を考えて物事に当たっていきますから。

強者の論理
細川:現役を退いてからは、先生も私も指導者という立場になったのですが、私は非常に悩むことが多かったです。現役時代であれば、自分が努力すれば成果が見えてきましたが、指導者になって、こちらの思いが伝わらない、育たないことに一番悩みました。

山下:私も同じです。オリンピックや世界選手権で実績をもつ人が指導者になると、選手は聞く耳を持ちます。一言の影響力は大きいと思うのですが、それだけでは伝わらないし、育たないと思います。
私の場合も、選手としての実績がありましたから、「俺は強い選手を育てられる」という自信がありました。でも、私が熱い思いをもって言っているのになかな か伝わらないんです。相当落ち込みましたね。でも今振り返れば仕方ないと思います。そのころの私は、強者の論理で指導していたんです。

細川:どういうことですか?

山下:私は世界チャンピオンになって以来、引退するまで無敗で、大きな挫折、スランプというものを知らないのです。そしてどの選手に対しても、「勝てない のは、試合に出られないのは、努力、工夫が足りない、自分に甘いからだ」と、そういう考え方で指導していたんです。高い所から選手の状況を考えないで、た だ自分の考えを押し付ける指導です。

細川:私もそうでした。指導者としての前半は体も元気でしたから、「俺についてこい」型で、「ついてこれないやつは放っていくぞ」という感じでやってきた。でもやっと最近、それだけでは駄目かなと気付いてきました。

山下:それでは駄目なんですよね、やはり相手の状況なりを考えて選手の気持ちになって指導しないと。ですから私は、そのことに気付いて以来、選手の気持ち を分かったうえで「どう言えば、相手は受け止めてくれるか」ということを考えて指導するようになりました。正しいことを言ったって、選手が受け止められな かったら何も変わらないですから。

選手は指導者の鏡
山下:それと選手が育たないのは指導者の責任であることを自覚することです。私が指導者としてなかなか結果が出ないころ、早稲田大学ラグビー部の日比野先 生にイギリスでお会いして「先生が指導されていて、一番心がけておられることは何ですか」と尋ねたことがあります。すると先生は「責任を選手に転換しない ことだ」と言われた。私はハッとしました。私はそのころ、選手が指導した通りにしなかったら、できなかったら「何やってんだ。言ったじゃないか。教えた じゃないか」と叱っていたんです。これって「俺には全く貴任ないよ。お前が悪いんだよ」と言っているのと一緒で、できるように指導しなかった自分に責任が あったんだと気付きました。

細川:「子供は親の鏡」と、子供の姿は親の姿の反映であると言いますが、それと一緒で、選手の姿は指導者の姿の反映ですよね。

山下:そういうことですね。私は指導者になってから、相手のことや周囲の人のことなどを、少しずつ考えるようになっていきました。教えることでこちらが教えられました。

柔道ルネサンス
山 下:そして最近は、柔道はただ勝ち負けじゃない。柔道を通して人間的成長をしていかなければいけない。戦う相手は敵じゃない。共に助け合い、柔道を学び、 盛り上げていく仲間なんだ。そんなことを考えるようになってきました。また、柔道創始者の嘉納治五郎師範の精神を受け継いでいるのかという疑問がわいてき たんです。

細川:その疑問から始まったのが「柔道ルネサンス」ですね。

山下先生が委員長、私が副委員長の大役を任せられたのですが、柔道ルネサンスについて、少し読者にも説明していただけませんか。

山下:21世紀に入って日本柔道界は新たな目標を掲げました。簡単に言うと、柔道創設者の嘉納治五郎師範の原点に返って、柔道を通した人づくり、人間教育を大事にしていこうというものです。
私も細川先生も世界一を目指し、とことん勝負にこだわってきた人間です。勝ちを目指すことを否定はしません。それはそれで価値がある。でも東京オリンピッ ク以来、柔道界は、オリンピックごとに期待を裏切って、マスコミから叩かれて、メダルの数とか、結果だけを求めすぎて、人間教育という一番核となる根本を 忘れていたのではないかと思います。しかし、結果だけを求めていると、勝つためだけに誤った道を選んでしまう危険性があります。選手が優秀な成績を残すこ とができれば、それはそれで素晴らしいことですが、たとえ結果は出せなくても、人間としての成長があり、そのスポーツをやめた後でも、学んできたことを生 かして充実した人生を送ることができるなら、それが真の勝利者、人生の勝利者ということになると思うのです。それを選手に伝えないと駄目だと思うのです。
こういうことを言うと、私を立派な人問だと思う方もありますが、叩けば埃も出ますし、まだまだ未熟です。大人が立派なことを言うよりも、まず、自分自身の 日々の行動を、「これでいいのか」と、創始者の精神に正しながらやっていくのが基本ではないかと思う。

細川:そうだと思います。最近、勝ち負けにこだわって、「そんなことは綺麗ごとだ」と言っていた指導者が住みづらい柔道界に少しずつなってきた気がします。

天理柔道
山下:嘉納師範の精神は「精力善用・自他共栄」が柱ですが、天理柔道も素晴らしい精神をもっていると思いますね。

細川:私は選手によく「一番になれ。努力をせよ」と言います。それは、天理大学は「他者への貢献」というのが大きな目標ですが、努力して一番になることを目指す中に、人に優しくできたり、感謝の気持ちを伝えられるようになっていくと思うからなんです。

山下:天理の選手でものすごく印象に残ったことがあります。私は八年間全日本代表の監督をしましたが、シドニーオリンピックでのことです。あの時篠原信一 選手が誤審で金メダルを逃しました。でも彼は、「弱かったから負けた」と一言も言い訳しなかった。心の中では言いたいことはいっぱいあったと思います。し かし彼は審判を責める前に「なぜ残り時間に自分は全力を出せなかったのか」と、自分を反省した。あの謙虚な姿に感動しました。
また同じオリンピックで、初日に野村忠弘選手が優勝しました。本当なら彼はそれで終わりで、後は休めばいいのです。でもそのオリンピックの時私は「男子の 選手は各階級七人全員で一人だから、自分の試合が終わっても次の選手のことを考えてやってくれよ」と言っていたのですが、野村選手は自分の試合が終わっ て、その日も夜遅く、クタクタになっているのにもかかわらず、次の日会場に来てくれたんです。しかしその階級の選手が負けたんですね。そして負けた選手が 肩を落としながら柔道着からジャージに着替えている時に、野村選手がその柔道着をものすごく大事に、丁寧に丁寧にたたんで、宝物をしまうようにバッグにし まったんです。感動しました。この二人の偉大な選手の姿に、天理教の精神とか、天理柔道の先生方の精神があるのではないかなと思うのと同時に、それを大事 にしていってもらいたいと思います。

子供の育成
細川:天理柔道をお誉めいただいてありがとうございます。ところで山下先生は、校内暴力、いじめというような子供の問題にも取り組んでおれますね。

山下:私自身が悪かったでしょう。ですから、柔道を通してそういう問題を解決するお手伝いをしたいと考えているんです。柔道というのは礼に始まり札に終わ る。礼儀や相手への思いやりを学ぶ場。また勝負を通して勝つ喜びや負けた悔しさも分かる。実際に投げられれば痛みを実感できるし、相手の痛みも想像でき る。さらに、勝ち負けだけじゃない、人間としての強さ、優しさを身につけられる。
だからこそ「いじめっ子もいじめられっ子も柔道場に集まれ」と全国の中学校の柔道の指導者の方に声をかけているんです。

細川:全国中学体育連盟も動き始めたみたいですね。

山下:はい。ありがたいです。そして、もしこれが柔道で成功したら、他の武道、他のスポーツとも協力して、学校数育に組み入れていきたいと思っています。

細川:そうですね。人間教育のためのスポーツですよね。山下先生も「礼に始まり礼に終わる」柔道と言われましたが、私は特に「礼の心」が大事だと思うので す。先日「礼」について勉強する機会があったのですが、「礼」という字の旧字は「禮」と、「示す偏」に「豊」と書くのです。これを知った時、まず指導者 が、勝ち負けだけにこだわらず、お金や物の豊かきじゃない、人間としての豊かさを持ち、その豊かさを示せるようになるのが一番大事だと感じました。

山下:その通りです。勝ち負けだけじゃない、そうした人間として大切なことを、柔道を通して、子供たちに、世界に伝えていきたいと思います。


嘉納治五郎 かのうじごろちう
1860~1938年。教育家。講道館柔道の創始者。天神真楊流、起倒流において柔術を学ぶ。1882年、講道館を創設。今日につながる日本柔道の礎を築く。

篠原信一 しのはらしんいち
1998年より3年連続全日本選手権優勝。99年、バーミンガム世界選手権で2階級で優勝。シドニーオリンピック銀メダリスト。

野村忠宏 のむらただひろ
全日本選手権、世界選手権など数々の大会で優勝。アトランタ、シドニー、アテネオリンピックで、前人未踏の3連覇を達成する。

●やました・やすひろ
1957年、熊本県生まれ。東海大学大学院体育学研究科終了。全日本選手権9連覇、ロサンゼルスオリンピック無差別級金メダル他、タイトルを多数獲得。 85年、203連勝のうちに現役を引退。東海大学柔道部監督、アトランタ、シドニーオリンピック日本代表監督を経て、現在、東海大学体育学部教授。国際柔 道連盟教育コーチング理事、全日本柔道連盟理事。柔道の国際化と普及のために活動を続ける。

●はそかわ・しんじ
1960年、兵庫県生まれ。天理大学卒。78年の世界学生柔道選手権(リオデジャネイロ、ブツロウ)で連覇するなど、国内外の大会で活躍。84年、ロサン ゼルスオリンピック大会の柔道60キロ級で金、続く88年のソウル大会では銅メダリストに輝いた。現在、天理大学教授、全日本柔道連盟男子強化部長として 後進の指導に当たっている。

 

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