勝ち負けにこだわらず本当の人間形成を
現役選手時代から感じ始めていた
今の柔道に対する違和感
1984年ロサンゼルス五輪で、右足を痛めながら何とか金メダルを勝ち取り、翌年に引退。ですから、すでに20年以上、指導者として柔道にかかわってきました。
その中で現在、真剣にとり組んでいる運動があります。それが「柔道ルネッサンス」です。ルネッサンスですから、要するに『柔道の原点に返れ』ということで すね。2001年からスタートしたこの運動で、常に先頭に立って推進しています。なぜ私が「原点に返れ」と熱心に説き続けるかというと、そこに大切にした いひとつの言葉があるからなんです。
講道館柔道の創始者である嘉納治五郎師範の言葉に「精力善用・自他共栄」というものがあります。力を良きことのために使い、自分だけでなく他者と共に栄え る、という意味です。ところが我々は、勝ち負けだけにこだわってしまうあまり、そうした原点の精神を忘れてしまっているのではないか、創設者が目指してい た人間作り、人間教育として柔道があるという視点を、忘れてしまったのではないか、と思うんですね。
もうひとつ、私が好きな言葉に「伝統とは形を継承することを言わず、魂を継承することである」というものがあります。我々は、形として技を決めることを身 につけることはするけども、もっと大切な、魂を学ぶということができなくなっているように思います。
誰よりも勝ちにこだわり続けてきた私ですから、なおさらその意味を重く感じるのかもしれません。
柔道の心は日本人が忘れかけている日本の心にも通じる
実は現役時代から、こうした思いを持ち続け、何か違うなと感じていたんです。相手に対する敬意だとか、人間としてのモラル、倫理観が欠けている選手、指導者が多いような気がしていました。
オリンピックに出ればマスコミの注目を浴び、勝てばもてはやされるし、負ければたたかれる。日本中の期待を背負っている重圧もあって、どうしても結果にこ だわってしまうようになったのは、仕方のない面もあると思います。もちろん私自身、とことん勝ち負けにこだわってきた人間ですから。常に全力で勝ちを目指 してきました。だけれども、その過程において人間形成の大切さを失ってしまったら、それはもう柔道じゃない。形だけの柔道では、取り組む意味がないんで す。
そして柔道の心は日本の心に通じるとも思います。柔道の普及を通して、世界中の人に、日本人の心を理解してもらうことができるのです。
相 手がいるからこそ自分も成長する。だから相手は、敵ではない。敬意を持たなければいけないという考え方は、武士道の精神につながっています。日本人が大切 にしてきた伝統の精神を、形だけでなく、その魂を伝えていかなければなりません。それは必ず実人生の中でもいきてくるはずです。
自分自身の生き様を子供達に見せること それが教育です
私 の夢は、柔道を知らないお母さんたちが、「野球やサッカーもいいけど、柔道をやっている人は違うよね、やっぱり柔道は教育のひとつよね」というふうに言っ てくれること。私たちが声高に叫ばなくても、柔道家たちの生き様を見ればそれがわかる、というようなことになれば理想的ですね。
だからこそ、子どもたちに教える自分たち指導者の姿勢が大事になります。何よりも先にしなければいけないのは、指導者達が変わっていくことなんです。
教育というものはすべて同じだと思います。教える側の人間が本来あるべき姿、正しい精神を持っていなければ伝わりません。試合の前に礼をしろと教えても、 なぜ礼をしなければならないのかを伝えるためには、指導者自身が、相手に対する敬意、思いやりといったものをしっかり持って礼をしてみせなければならない のです。
自分自身の生き様をしっかりと見せなければいけないんです。なぜなら、我々の生き様を映したものこそが子どもたちの姿なんですから。