講演録 / 新聞・雑誌クリッピング

2006年01月24日
日経ビジネス 「柔道で世界を変える人材育成」 対談:今北純一氏
東京都文京区にある日本柔道の総本山「講道館」。そこを活動拠点の1つとする五輪金メダリストの山下泰裕氏を、パリ在住の経営コンサルタントである今北純一氏が訪ねた。

世界を代表する柔道家と、仏ルノーをはじめとする多国籍企業で経験を重ねた日本人幹部、働く世界は違うが、ある場所で知り合い、「個人と組織」や「日本の役割」といった柔道にも経営にも通じるテーマを追求するため、よく意見交換をしている。

講道館会議室で2人は、日本の個人と組織の新たな指針について、真剣勝負の議論を繰り広げた。



今北 山下さんにお会いしたのは2004年、あるパーティーが最初です。自己紹介をしたら「今の日本をどう思われますか」といきなり言われて。

山下 あ、そうでしたか(笑)。今の日本はこれでいいのかという思いを常に持っておりますので、それが(欧州で働く今北さんに)ストレートに出たのかもしれません。
中学校や高校に公園に行くこともありますが、夢を持っている生徒というのが非常に少ないですね。大人を見ても、私たちの親は自分が我慢しても次の時代が良 くなるように努力してきた。そうした視点や価値観も今は薄れて、自分たちが利益を享受したいという気持ちが強くなってきている。そういう状況に危機感と疑 問があります。

今北 山下さんのご指摘は、まさに私が長く考えていることでした。
私は30年以上前に日本を離れ、スイスのバッテル記念研究所や仏ルノー公団(当時)などで、たった1人の職員や幹部として働きました。海外に出たきっかけは「組織を豊かにして個人貧しく」と感じたことでした。
企業が売上高や利益を高める割には日本のビジネスパーソンは精神的に豊かになっていないのではないか。それは自分自身が日本の会社で働いてみて感じたことです。応手で働くようになってからも、「お金があれば何でも買える」という日本の風潮に疑問を感じてきました。
今の仕事を通しても、どうすればよいか解をいつも探していますが、大切なのは「ミッション(使命)」だという話を、山下さんとしましたね。
子供だけでなく、ビジネスパーソンもワクワクしながら仕事をすることは重要です。自分にとってすごく魅力を感じるミッションを見つけて、それが自分のパッション(情熱)にどこかでつながってくるようにすれば、生き生き働くことができる。
そうした視点で個と組織を高めていこうとミッションについて語ったら、まさに山下さんご自身が、その実践と作り替えをされていたのです。

柔道で世界を変える人材育成
山下 今、自分の人生は第3のステージに入ったと思っているんです。
第1のステージが選手、第2のステージが柔道の指導者。今は第3のステージで、(柔道発展の)システムとか環境を作っていく立場ですね。
もっ と、柔道を世界に広めて生きたいといおう思いがあります。単なるスポーツとしての柔道の持つ心とか、柔道の教育としての価値。それらを世界に広げて、柔道 を通して日本の心や文化を伝えていきたいのです。そうなれば海外からの日本への関心や憧れも高まり、日本はもっといい国になるでしょう。
柔道は本来、勝ち負けを競うだけじゃなく、人を磨き高めていくものです。柔道創設者の柔道創始の目的にも書かれていました。世の中を支える人材を輩出することを目的としている。
しかし現実には、結果だけを求めすぎている。本当に受け継いでいかなければならないのは何なのか。それを見失ってマナーが悪くなったり、モラルが下がったりしている。
他の武道やスポーツとも手を組んで、今の教育の荒廃から子供たちを少しでも救いたいですね。まずは自分たち自身がそれを行うのにふさわしい団体にならなければと思っています。
この目的で今年4月にはNPO(非営利組織)日本経済団体連合会の奥田碩会長や全日本柔道連盟の嘉納行光会長、東海大学の松前達郎総長も発起人になってくれます。
今、とても気に入っている言葉が「1人では何もできない、しかし1人が動かなかったら何もできない」というもの。目指す方向へ進めるかどうかは、メンバー の1人ひとりの心に火をつけることに懸かっています。メンバーの命が煌々と燃えてエネルギーが湧き出れば、彼らも周りの人たちに火をつけるようになるはず です。

今北 山下さんの活動は、個人としての天才的な能力を持った人が、周りにインパクトを与えて、そこにさらに支援者が加わり、大きな流れになると思います。
ビジネスパーソンも1人で動かなければ何も動かないというのは、私も多く体験しています。
ル ノー公団にいたころですが、20万人のフランス人がいて外国人は私だけだった。幹部会議に出ても、全員が同時に話していて、私がいくら手を上げて、意見を 言おうとしても誰も聞いてくれない。「自分はここにスカウトされてきたのに何だ」という思いもあって。あるときこうやったんです。(いきなり今北氏が立ち 上がる)すると皆が見て、「ムッシュ今北、どうしたの?」と。それで初めて自分の意見を言うことができた。
さらにバッテル記念研究所の時には、約700人の研究者がいて、自分で企画を立てて契約を取ってこなければ、何も自分に 仕事がない。3ヶ月単位で「あなたは向いてないんじゃないの」と肩を叩かれるわけです。そこでスランプに陥った時期には(緊張で)パジャマのズボンをはい たまま、その上にスラックスをはいて、うっかり研究所に行ったこともあった。それだけ1人で物事を解決するのは大変なのです。
そんな時に山下選手が外国人の大男から1本を取って勝つ試合をテレビで見て勇気づけられたことがあります。
さ まざまな体験から得たのは、自分で本当にやりたいものを見つけるということ。夢を追求することです。当たり前のようですが、昔は本当にそれがしたいのか、 あるいは他人に勝ちたいだけなのか、自覚をしていない面もあった。だからこそ追求が大切で、そうして個人が力をつけて組織に広げるのです。
その対極にあるのが、なれ合いや惰性の仕事です。昨日の続きでいいや、(会社があって、自分がいて)給料がもらえていればいいやということを続けていくこと。そうした2つは双曲線の関係にある。
非現実的な夢を求めれば、安定とは無縁になりますよね。逆にものすごく生活志向になると、安定的ではあるけれど夢とは無縁になっていく。最適店がどこにあるのかというのを常に探して、自分に合った接合点を見つける。これも会社員には大事なことです。

山下 楽しさとか、ワクワクとかウキウキ。これはものすごく大事ですね。それがあると嫌なことがあってもエネルギーがわいてきますから。
スポーツでも、まず楽しさがある。楽しければ、もっと強くなりたい、もっとうまくなりたいという気持ちがわいて、難しいことに挑戦する厳しさも、自分から求めるようになります。
逆に人からやらされると、そこから逃避したくなったり、それが辛かったりする。自らも求めていく姿勢はすごく大事だし、やらされてやるものと自らやるものでは、結果だけではなくて、過程で学べることにものすごい差がある気がするのです。

真のCEOの仕事を
今 北 私も、最適解のない問題に挑戦するスピリットを糧にしながら仕事をしています。層心がけると、組織の中にいようが、個人で仕事をしようが、面白いこと だらけなんですね。山下さんが柔道に厚いものを感じられているように、それに匹敵するものが自分にとって何かを探してきた。それで行き着いたのがこの法則 なんです。
組織と個人の関係で言えば、日本と欧州では違いがあります。
欧 州は、企業でもあるいはプロサッカーのレアル・マドリード(スペイン)もそうですが、勝ち組であればあるほど、自我の強い人が集まってしまう。個では強い が、チームワークを発揮しようとすると、途端に難しくなることがあります。ではどう集団をまとめるかと言えば、まさにCEO(最高経営責任者)が意思決定 をするわけです。
日本では逆にお互いが譲り合って意思決定がなされるので、まとまりはあるが、科もなく不可もなくといった選択がなされる可能性が高い。日本の企業でもCEOの肩書きを持つ人は増えていますが、本当に重要な意思決定をできる人がどれだけいるでしょうか。

山下 僕は企業のことはよく知りません。大学を卒業して、大学に就職し、そのまま教員で残っていますから。
ただ企業の中で、夢を目指しにくいというのは、やっぱり競争社会だからでしょう。同僚がいて、その中で出世をしようとか、あるいは地位を得ようとかが先に来る。
私が思っているのは、その地位に着くことを目指すのではなくて、それに「ふさわしい人間」になるんだと。肩書きでなく、大事な仕事を任せられる人間になることを目指すと、少し見方が変わるんじゃないかな。
じゅ うどうでも、学生たちは「優勝したいからがんばる」と言うのですが、さらに大事なことは優勝をするのにふさわしいチームになること。チャンピオンを取るの にふさわしい人間になること。もう1つ言うと、もし、この世に見えない存在がいるとしたら、この人間に勝たせてあげたいな、と思われるような人間になるこ とが大事です。
どうしてこう思うかというと、私は選手時代ずっと勝って来た。だから私と同年代の人は、私がいるが故に、ものすごい害を被ったわけですね。(笑)
オリンピックや世界選手権は1人しか出られません。どんな優秀な人間が集まったって、大会で優勝者は1人だけです。そうすると私が1番いいところをさらうわけです。
私も誰よりも努力をしたつもりです。でも(他の選手は)私以上に努力をしたかもしれないし、苦労をされたかもしれない。だけど、私がいるために勝てなかった人は多くいる。
指導者になってからのことです。私が一番活躍した日本武道館(東京)で私の教え子はなかなか活躍できなかった。世界大会の代表を決める試合は福岡でやるのですが、そこでは勝てる。しかし、日本武道館での日本一を決める戦いでは、なぜかうちの選手は勝てない。
何で力が出せないんだろうと思ったときに、はっと浮かんだのが今まで考えてもいなかったこと。「ああ、ここには私に敗れた人たちの怨念がいっぱい詰まっているんじゃないか」と。
それでどう考えたかというと、怨念を全部そこからどけることはできない。私と戦って負けた人たちは「悔しい、残念だ、無念だ」という思いを持っていたかもしれない。
じゃ あ、私がこれからもっと人間的に成長をしていって、「俺はあの山下と戦ったんだ。負けたことじゃなくて、山下という人間と戦ったことを誇れるんだ」とまで 思ってもらえるような人間になっていけたら、恨みも消えていくんじゃないかなと。何だか知らないけど、私はそう考えたわけです。それは大きな気づきでもあ りました。

自信を持って発信しよう
今北 それはとても興味深いお話ですね。政治家が落選すればただの人という言葉はあるけれども、サラリーマンだって同じで、部長だって退職すればただの人。社長でさえただの人になっちゃう。それに気づけば自分を大事にすると思うんですね。
だからこそ、肩書きも学歴も一切関係なく、金持ちか金持ちでないかも関係のない、世界のどこにいっても変わらない信念と情熱と行動規範を持って発言し、友情関係を作る。そういう人間になることが大切なんですね。
私が日本人として欧州にいて悲しい思いや恥ずかしい思いをするのは、肩書きやお金にものをいわせて威張る人たちが少なくないことです。そうしたものがなくても構わないはずです。
世の中というのは広いので上には上がいるし、より強い人もいる。山下さんより強い人はいなかったけど(笑)。ビジネスの世界だって自分がある程度マスターしたと思っても、そういうことがわかれば謙虚になると思うんですね。
日 本人は、謙虚さを持ちつつ、自分の得意技、得意分野というものは絶対の自信を持って、それをメッセージとして発信するよさを本来はもっている。そのバラン スをわすれないことが重要なんじゃないですか?そういう人が日本で増えることに、私も仕事を通じて貢献したいと思っています。

山下 わたしもそういうふうになりたいと思います。ひたすら稽古、稽古、稽古(笑)。


今北 純一(いまきた・じゅんいち)氏
1946年生まれ、59歳。70年に東京大学大学院化学工学科修士。バッテル記念研究所、仏ルノー公団、エア・リキード・アソシエーツ(CVA)に加わる。著書に「定跡からビジョンへ」(羽生善治氏との共著、文芸春秋)や「ミッション」(新潮社)
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