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日露賢人会議に出席して(2004年4月13,14日)

 

今回の会議のための旅行は、1泊3日。ロシアの雰囲気を感じるゆとりはありませんでした。

私が日露賢人会のメンバーに選ばれたのは、私がプーチン大統領と面識があって、その大統領が大の柔道好きだからではないか、というのがひとつ。そして、もうひとつは、日本とロシアの次の世代のために、文化の交流、スポーツの交流、学術の交流、それも、民間レベルの交流を太くしてゆきたいという狙いがあったのだと考えています。

これまでの日本人は、ロシアに対しての親しみが薄かったのではないでしょうか。地理的にも、どちらかというとヨーロッパに近いと。ところが、隣の国なんですね。本当は近いのに、遠い国という意識の日本人が多かったのではないかと思います。これからは、そんな日本人とロシアが様々な分野で、お互いに協力してゆこうというのが日露賢人会議です。

議題は、北方領土問題など、政治的なことがおおく、私はなかなか入っていけませんでした。専門家にはなれませんが、これからはもっと意識を高めてゆかなければと思っています。

午前中の会議が終わった後に、プーチン大統領のところへ表敬訪問に伺いました。大統領は一人ずつ握手をしていらっしゃいましたが、私の番になったら急に顔色を変えられて、ハグハグ(笑い)でした。大統領を囲んでの懇談のときには、私はもっとも若輩なので、後ろのほうに居ったんですが、日本側座長の森前総理から「山下君、もっと前へおいでよ」と言われました。「私はもう三回もお会いしていますし・・・」と辞退しましたが「いいから、前へおいで」と。とうとう柔道の話になって、私が一番長くお話ししてしまいました。こんな大事な場所で柔道の話ばかりはどうかと思ったんですが、大統領がお話しになるので・・・。みなさんからも、「大統領は本当に柔道がお好きなんですね。山下さんとお話しになっている時が、一番嬉しそうでしたよ」と言われました。



日露の友好親善のために精一杯努力します

会議の中で、東海大学と松前重義先生の名前が出てきました。そこで、私は、思わず大統領に言ってしまいました。「私も、日露の友好親善のために精一杯努力します」。そういうことを言うつもりはなかったんですが、その前に柔道の話をいっぱいしていたんです。プーチンカップのときに、日本人選手達は大統領の見ている前で、大統領の期待に反するような活躍をしてしまって・・・。申し訳ない気持ちもあったんですが、それを口に出す前に、大統領が、「あの時の日本人選手は素晴らしかった。あれは、単なるスポーツじゃないよ。芸術のレベルに達している。あの時の監督は、斉藤監督だね?」「帰ったら斉藤監督に、素晴らしいチームを作っているねと、伝えて欲しい」などと話されました。そんなやり取りの印象があって、思わず言ってしまったんでしょうね。



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