過去の栄光に浸るなと
自分に言い聞かせてきた
柔道をやる前、小学校三年生のとき、剣道を始めたんです。太っていたので剣道をやれば、スタイルが良くなるのじゃないかと、お袋が考えたようです(笑)。
でも体格がいいので、大人用の竹刀を持たされて、それが重くて嫌で、稽古に行くと嘘をついては遊び回っていました。そのうちにお袋にばれて、「道場に行きなさい!」と怒られました。けれど親父は「本人が行きたくないのに、無理して行かせることないじゃないか」と言ってくれたんです。
その半年後に、柔道を始めました。柔道は私の有り余ったエネルギーを発散させてくれましたし、人並み外れた闘争心を満たしてくれました。そして、柔道の激しさにひかれて、だんだん夢中になっていきました。
高校二年の二学期に親元を離れ、神奈川県の東海大附属相模高校へ転校しました。郷里の親父から届く手紙には、「柔道を取ってしまったら何も残らん人間には絶対になるな」と、繰り返し書いてありました。それは、私の中におごりや高ぶりが生まれないための、父の戒めだったんですね。私が柔道で有名になるとともに、周囲はともすれば私をスター扱いするようになりましたが、そのとき私は、親父の言葉を思い出したんです。
金メダルを取るまで頑張ったのは、自分の人生の中で大きなことでしたが、過去の栄光に浸っていてはいけないと、自分に言い聞かせました。人間というのは、少しずつでも成長し続けることが大切でしょう。そのためには、過去にとらわれずに、常に前向きに進んでいきたいと考えています。
はるか頭上から二人の偉大な人物が、そんな私をいつも見ているような気がするのです。一人は、柔道をこよなく愛した母校東海大学の創立者、松前重義先生(1901〜91年)。もう一人は、柔道の創始者、嘉納治五郎先生(1860〜1938年)です。
松前先生からこう言われました。「山下君、僕が君を応援するのは、試合に勝ってほしいからではないんだよ。柔道を通じて、世界の多くの若人と友好親善を深め、スポーツを通じて世界平和に貢献できる、そんな人間になってほしいからなんだよ」と。
これが、私の人生を自分なりに豊かにするバックボーンになりました。
二人との出会いに
感謝の気持ちを忘れない
「山下さんにとって、柔道とはどんなものですか?」
よく聞かれますが、一言でいうなら“WAY OF LIFE”ですね。柔道を通して、学校の授業では学べない、しかし人生にとっては非常に大切なことを学んできた気がします。そして柔道は、多くの素晴らしい人たちとの出会いをもたらしてくれました。
大切なのは、その出会いに感謝の気持ちを持つことだと思うんです。「こういう人がいるから、いまの自分があるんだ。支えてくれる人がいるから頑張れるんだ」と、日々の行動の中に感謝の気持ちが入ると、いろいろなことがうまく回るんですよ。そしてアクシデントやトラブルに対しても、自分を鍛えるために起きているのではないかと思えるようになるのです。
私はもともと競争が好きで、現役時代は、他人を蹴落としてでも一番になってやるという思いがありました。それと同時に、畳の外では、思いやり、感謝の気持ちを持たなければならないと肝に銘じてきました。
現役を退いてから、学生を指導する立場になりました。その時、実社会を知らない自分に、果たして指導ができるだろうかと考え、いろいろな人の意見を聞いたり、自分で試行錯誤を繰り返したりしました。それで痛感したのは、まず大人である我々一人一人が、自らを変えていくことが大事だということです。
私が一番嫌いなのは、自分は第三者だから関係ないとばかりに、「いまの子どもは……」とか、「世の中が悪いんだよ」と言う大人たちです。しかし、非行もいじめも、すべて我々一人一人が関係しています。自分が変われば、周りも変わるということに大人が気づいて、自分の良心に恥じる行動をしなかっただろうかと、毎日、胸に手を当てることが大事だと思うんです。
生意気に聞こえるかもしれませんが、私たちは、いつの間にか、日本人らしさというものをなくしてしまったような気がします。昔の日本人には、正直で勤勉、互いに思いやる和の心があり、物を大切にしました。そして何より、恥を知るという気持ちがありました。でも、いまの多くの日本人には、そのような心が眠ってしまつています。それを目覚めさせていかなければなりません。
柔道を通して
子どもたちの生きる力を育む
昨年九月、国際柔道連盟(IJF)の教育・コーチング担当理事に就任し、世界における柔道の普及と発展という、新たなステージを踏むことになりました。総会では英語のスピーチをしなくてはならないし、世界の柔道関係者とコミュニケーションを図るには、英語力が不可欠です。そこで一念発起し、昨年はニュージーランドとニューヨークの友人の家に滞在し、今年一月にはイギリスの知人の家にホームステイして、英語漬けの日々を過ごしました。
あんなにみっちりしごかれたのは久しぶりのことでした。どれだけ英語力がついたかは分かりませんが、何事も勉強が第一歩だと、そう自負しています(笑)。
でも世界のあちこちに行ってみて、様々な文化や考えを持つ人がいることを改めて知りました。だから、これからの私の仕事は、日本で生まれた柔道を、さらに多様性のある世界の中で発展させていくことなのだと再認識することができました。
そしていま、私が願っているのは、子どもたちに生き生きとした笑顔が戻り、世界中の人々がずっと安心して暮らせるように、力を合わせて生きていく仲間をつくっていくことです。その際、スポーツが果たし得る役割はとても大きいと思います。「生きる力」について、いろいろ言われていますが、スポーツは相手を思いやる心、力を合わせる心、目標に向かって努力する心、そして我慢する心などを培ってくれます。「生きる力」を育むために、スポーツ界は、もうひと工夫することが必要です。
柔道界としても、嘉納治五郎先生の理想の原点に戻って、勝ち負けだけのスポーツではなく、柔道を適した“人づくり”を、これからもっともっと目指していきたいと思っています。そして、子どもたちの新しい発想とかエネルギーをもらいながら、みんなで日本人の心を取り戻していきたいですね。
【やました やすひろ】
1957年熊本県生まれ。東海大学卒、同大学院修了。小学校3年から柔道を始め、77年、東海大学2年の時、史上最年少(19歳)で全日本チャンピオンに。その後、全日本選手権9連覇、世界柔道選手権では4タイトルを取り、84年のロサンゼルス五輪では無差別級で金メダルを獲得。同年10月、アマチュアスポーツ選手として初の国民栄誉賞を受賞。85年6月、203連勝の偉大な記録を残して引退。88年東海大学助教授、98年から同大教授。88年全日本柔道連盟強化コーチ、92年ヘッドコーチ(監督)、96年史上最年少で理事に就 任。アトランタ五輪、シドニー五輪の柔道男子日本チーム監督を務める。2000年、全日本柔道連盟監督を退任。1998〜98年教育課程審議会委員、2000年教育改革国民会議委員、2001年から中央教育審議会委員を務める。2003年、国際柔道連盟・教育・コーチング担当理事に就任。