最近私が富に感じているのは、自分の意見を通 したり、自分の立場を主張する風潮があまりにも強すぎるのではないかと言うことです。自分の意見をもつことは大事なことです。でも私は、まず相手を理解して、そして自分の意見を述べる、相手を議論で説き伏せるのではなくて、互いの違いを認めながら、互いに理解していく。そういう姿勢でこそ、人は社会で共存、共生していけるのではないかと思うのです。今の世の中は常に競争で、競争相手を蹴落として自分が上にたちたいと思っている自己中心的な人や、権力やお金を何よりも優先するという価値観の人が増えているのではないでしょうか。
教育においても、私は世の中の価値観、大人の在り方に問題があると思います。自分が一番大事、自分の組織や経済力、権力、地位 が大事という価値観になっていませんか。そんな価値観を持った大人が、子供たちにモラルや人間性を説いても、決して伝わってはいかないと思うのです。「今」を映し出す鏡は子供です。子供は大人の姿、価値観を映し出します。大人が自分の真心、良心に恥じない行動をしていけば、子供は、大人が何も言わなくても、大人の後姿を見て育っていきます。
自分の両親に恥じない生き方をしていく、自分を主張するのではなく相手を思いやって生きていく、自分自身がまずそういう姿勢で生きていきたいと思っています。自分だけよければいいという価値観や、相手を認めず自分の意見を通 そうとする生き方に疑問を感じた人からまず、変わっていったらいいと思います。
人間としての尊さは、やはり人間性にあると思いませんか。良い成績の子がいい子でしょうか。社会的な地位 のある人、財力ある人が尊いですか。人間としてのレベルの高さは、優しさや勇気、正義感。利他の心、そういうものにあると思います。今ここで、我々大人がもう一度、自分達の価値観を見直して、子供に知識を与えるだけでなく、子供をはぐくんでいくという視点に立たなければいかんという気がします。
英語のeducateには、「その人の持っているいいところを引き出す」という意味があります。不思議なことに、足りないところは幾らでも指摘できるものです。最近の教育は、駄 目なところやそれを直すことばかりに目が向いているように思います。足りないところを補って、駄 目なところを直していくと、皆同じようになってしまわないですか。それではその人らしさは出てきません。柔道の指導をしていると、選手に何がたりないかは最初の五分間で分かります。でも私は、その選手の持っているいいところは技か、性格的なものか、体力か、持ち味は何か、じっくり見て考えるのです。いいところはどこか、どういうところを伸ばしていったらいいかな、という視点で見ていくことが大事だと思います。欠点を探すのではなく、いいところを見つけようという見方をしていれば、自然とその人の良さが見えてきます。誰にでも必ずその人らしさや良さがあります。足りないところももちろんあります。それを互いに認め合って、互いにいいところ見ていくのが教育の意図だと、私は思います。そうすればその人なりの良さが輝きとなって、十人十色に輝くのではないでしょうか。
私はこれまで、選手としても指導者としても、勝負の世界で生きてきました。試合は自分が今までやってきたことを出しきり、発表する場だと思っていますが、どうしても結果 には勝ち負けがあります。私はしだいに、勝つ人がいれば負けて悲しむ人が常にいる勝負の世界に、違和感を持つようになりました。
勝負しないで生きていくことはできないのでしょうか。そんなことはないと、私は思います。これからは、勝つことだけを競い合うのではなく、自分の目標が他の人にとっても喜びになるように生きていきたいです。例えば、おちこぼれと言われる子供や心を閉ざして寂しい思いをしている子供に柔道を教えること、悪さばかりしている子供を柔道に巻き込んで彼の持つエネルギーをいい方向に向ける手伝いをすること。柔道を通 して、外国の人たちと相互理解、友好親善できたらいいなと思っています。自分の目標に近づくことが、誰かを悲しませるのではなく、誰かのプラスになるような生き方をしていきたいのです。
(山下泰裕 東海大学教授)
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