社会の価値観が生んだ大きな教育の歪み
■尾木:最近の教育についてはどのようにお考えでしょうか。
■山下:教育がものすごく狭い視点でとらえすぎていると思います。教える量
のことは問題になるけれど、人生いかに生きるべきなのか、生きるとはなにかという根本的なことをどう教えるかという視点が欠けているように思うんです。ゆとり教育に対する今の議論もその意味で全体をよく理解していないのではと思うところがあります。
■尾木:そうですね。ゆとり教育に対する反対論・心配論には一定の意味はあると思いますが、親世代がこどもの生活や学習実態を無視した、受験学力オンリーの経験主義に陥っていますね。学力問題にしても分数計算などテストの点数の上下議論に戻ってしまって、問題がかなり矮小化されてしまっていますよね。今は入学式と始業式が一緒の日だったり、中学では中間・期末テストの後にも授業をやるくらい子どもたちにはゆとりがなくて、ストレスがたまっています。それでも学校の勉強が「よくわかる」という子どもは、文部科学省の調査によると小学校三年生で二二パーセント、中二では四パーセント、高校生になると三パーセント台なんです。そんな子どもの学力実態なのに、ゆとりを持たせて内容を三割削減したら学力が落ちる。だから削減しない。若い時期は詰め込みも必要というのでは全然話が違うと思いますよ。それは勉強がよくできたエリートの人たちの議論です。
■山下:今のままの競争社会だと必ず行き詰まると思うんですよね。早い頃から詰め込み教育をして、いい大学を出て一流企業に入って、高い地位
やお金や権力を身につければ幸せになれるという考えでは本当の幸せは得られないですよねね。
■尾木:外務省問題や深刻な不況などが起こっている今の日本の姿は、それが成功しなかった証ではないかなと思います。
■山下:つきつめていくと社会の価値観が大きな歪みを産んでいることが、今の教育の問題点なんですね。だから、これからは本当の人間づくりを目指さなければいけないと思います。子どもたちは自分から疑問・意欲を持って取り組んでいけばものすごい力を発揮するし、それは人生に生きると思うんですよ。昔の寺子屋のような教育では知識は枝葉に過ぎず、人間らしく生きていくために必要な価値観や考え方を身につけることが重視されていましたよね。昭和初期までの貧しい日本のそういうところを、外国人はすばらしいとほめたんです。しかし超一流の経済大国になって国際競争のなかで傲慢になった時にマザー・テレサが、日本で学ぶ子どもたちはかわいそうだと言った。我々はそこを考えるべきじゃあないですか。国際競争力について、日本の技術力がゆらぐという問題もあるけれど、子どもたちの道徳観やモラルといった人間性が著しく落ちてきていることの方が問題だと思います。試験の成績が何番ということよりも、そういう人間力・社会力のランクこそを問題にすべきなんです。
■尾木:そうなんですよ。学力が落ちたといっても、OECDなどの調査結果
では依然として日本はトップクラスなんです。生きる力、人間力、社会力としての学ぶ力が豊かであれば、一〇〇点が八〇点に下がったとしても、大きな心配はないのです。むしろそのコアとなる、バックボーンとしての人間性が揺らいでしまったら、いくら知識を詰め込んだとしてもすぐにつぶれてしまいますよ。
■山下:これは日本人としての根幹をゆるがす問題だと思います。学力だけで泣く人間性や社会力の低い子どもたちが大人になったら、日本はすくいようのない国になってしまうと思うんです。ですから、いかに生きていくべきかという人間としての基本を教えていくべきなんです。そのためには学校だけでは限界がありますから、地域とかみんなを巻き込んで、手を取り合ってやっていく姿勢になっていかないといけませんね。
■尾木:その意味では「開かれた学校」という発想がこれから益々必要になってくると思います。総合的な学習の時期が始まって、親や地域の人たちが学校に参加することができる体制が整ったわけですから、その枠組みの変化を生かしながら、学校と地域がつながっていく契機になればいいなと思います。
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